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2018年12月20日 (木)

ポンドク・インダー・ストーリー

最近のマイ・ブログで、インド・タイセイの工業団地や各地のタウンシップ以来、気になる場所がポンドック・インダーである。

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ここのゴルフ場に行くこともなくなりいつの間に10数年忘れていたがその間に行ったのはポンドクインダー病院・診療所位であった。
その昔は当時最新・最大のモール・ポンドク・インダー(1991年オープン: 現在はメトロPIMとも)に何度も行くこと

Pim_2

があったしその先がプールでその先がゴルフ場であったし反対側の右手は荒地であったとしか記憶はないが
現在は右手は新たにPIM2が建設オープンしPIM1とPIM2との間はブリッジで繋がりその間の道はトンネル化されている。
Piwaterpark748x386
プールは大リノベされPIM3(Street Gallery)も出来ている。そしてその一帯に近づく手前は高層オフイスビル(Pondok Indah Office Tower I, II, III及び Pondok Indah Office Park)が林立している。
Pondokindah_apart

そしてここを通り抜けた一帯がポンドク・インダー高級住宅地である。それにPondok Indah Hotelや Pondok Indah Office Tower I, II,IIIも点在している。
80年代でもそれは東京の高級住宅を凌駕し我々もインドネシアの力を示すのに投資ゲストを連れて来たような存在であった。当時エリート地区と言われ富豪と外国人が住んでいた。日本人もお世話になり、日本レストなども流行っていた。
その昔は当時ゴム園とプランテーションの土地であったポンドク・ピナンの地区の、北はタナ・クシール墓地、南はチランダックターミナル、西はチプタート通りに囲まれた約460Haの広大なの住宅地の開発は1972年頃から始まり1976年にはオープンしていたが赴任していたころはサリムグループと丸紅との連携(?)事業と受け取っていた。事業体はMetropolitan Kentjana Tbk(MKPI:2009年上場)と言い総師 スドノ・サリムと友人達(Djuhar Sutanto、Ibrahim Risjad、Sudwikatmono)が作った会社である。
この中か或いはDKI市側に付いた男がチプトラである。彼はJayaグループで他に、Budi Brasali や Ismail Sofyanがいた。
スハルトが失脚した動乱を境目にサリムグループが叩きのめされその中でサリムグループはクンチャナの株を手放しそして現在も保有しているのがMurdana Pooである。現在のMKPIの役員の名前から保有者はMurdanaグループがトップ(監査役会長Dra. Siti Hartati Murdaya他)、そしてチプトラ・グループ(副会長 Ir. Ciputra)の他Ir. H. Ismail Sofyan やIwan Putra Brasaliの名前が上がっている。
この会社はBumi Serpong Damaiにも着手し、1983年にはPuri Indahも開発した。ポンドック・インダーの現在の住民は35,000人である。

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