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2019年1月17日 (木)

スマランのコタ・トゥア

バタヴィアのコタ・トゥアは世界遺産の推薦から却下されたが、次は2020年のスマラン市が提案されている。 
スマランはコタ・トウア(古都市)とも言う場面はあるがコタ・ラマ(旧都市)が正しい。そしてそれをGoogleで検索するとLetjn. Suprapto通りの周りに多くの商店・レスト・銀行・図書館・その他多くの建物がマークされる。その中心は昔ブログにもしたGreja Blenduk (ブレンドゥク教会)とその裏側辺りである。
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そこはスマラン第一のスポットLawang Sewuのある青年の塔のサークルからやって来るPemuda通りとImam Bonjol通りが合流し運河を渡る橋(Jembatan Berokオランダ時代の橋)から始まる。渡ってまっすぐ行くのがSuprapto通りで右折れはSendowo通りで左折はEmp Tantular通りでSendowo通りのPTPN社の建物(写真の右端)やBatik Centerについてもブログした。
Dsc_t0268

あの当時教会裏の地区は大掛かりな美装工事をやっている最中であったが今は完成した町並みである。そして地図にはBlendukの教会名はなくProtestantの西ジャワ教会とそっけなくなっていた。またその前の小さな公園はSrigunting Parksと言う名前である。更に地図では当時無名の建物が今やこのKota Lama Semarangの代表格となっているようだ。
20190117

一つはMataba Kota Lama Semarangと言うが多分結婚式などにも利用できる建物ではないだろか。
又Sendowo通りではあるが昔WikipediaのKota Lamaの代表写真になっていたPTPN XV(ブログ済)の横のSuprapto通り角の建物はKantor Phapros Kota Lama Semarangと言う名前の綺麗な建物となっている。PT RNIのグループ会社が入居する際にリノベしたのであろうか
ジャカルタのコタ・トゥアが世界遺産に落ちたニュースは先日淡々と書いたが日本語のネットで確認するとこのニュースは出ていない。インドマルコの2018年の1年間の日本語ニュースを「コタ」をキーに検索するとコタ・ジャバベカなどKotaを普通名詞のTown或いは独立都市ニュータウンの意味に使われたものしか出てこない。
スマランのコタ・ラマの世界遺産提案はジャカルタと同じ運命にならないことを祈っている。


追:上記 MatabaはGoogle Mapからの名前であるが、Situs Budayaさんの写真ではMarbaとなっている。
Gedungmarba

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