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2019年1月14日 (月)

コタ・トゥア 世界遺産

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コタ・トゥアとは古都市であるが、ジャカルタでコタと言えば北部の華人が多く住む地区一帯を言うが、更にその中でもファタヒラー広場やカリブサール(大運河)を中心としたオランダ植民地時代の建物が多く残る地区を特にコタ・トゥアと言う。バタヴィア城を囲む一帯でコタ・インタン(ダイヤモンドの街)とも言われたが、その賑わいが徐々に拡大北上し汚染が進んだので新しいバタビアの中心を南に移し現在の独立広場を中心とする新都心ウェルトフレーデンに移したのが1808年のダーンデルス総督時代でバタヴィア城の城郭を取り壊し新都心建設に使ったという流れがあった。
特にカリブサール地区は長く放置されたが2010年頃からオランダの援助があったりで力が入ってきたがジャカルタの財政力が付いてきてからは少し行き過ぎの観光化が進んだようだ。カリブサールは韓国の運河埋め立てを真似したのか、大改造が行われたのが象徴である。建物の改装も保護から観光開発にポイントが移ったようで、その中でジャカルタベイ埋め立ての17新島計画も考慮されコタ・トゥアの世界遺産申請は昨年推薦を受けられなかった模様である。世界遺産への提案(申請)には沖の千の島(の内の4島)を含んでおり正式にはAge of Trade: Old Town of Jakarta (formerly Old Batavia) and Four Outlying Islands—Onrust, Kelor, Cipir and Bidadariであった。オランダVOC時代は日本を含む太平洋貿易ではバタヴィアは最大のボリュームを誇ったと言うAge of Tradeをポイントにしたが、ユネスコは特異性がないなどと評価したようで、アメリカの様に脱退したくなるような話である。
日本の長崎は世界遺産になっているがそれはバタヴィアあってこその話の筈である。少しポイントが変えて隠れキリシタンであるが。。。ひょっとするとコンサルタントを使えばよかったのかも知れないとふとよぎる。
写真はJakartapostより借用、Pontoonで掃除をしている。運河に降りている観光客は見当たらず。

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