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2019年2月 1日 (金)

ジャカルタの築地ムアラバルと日本の援助

ジャカルタの築地 パサール・イカン・モデルン


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ジャカルタ新聞が北ジャカルタのムアラバルのジャカルタ漁港で建設を進めていた中央卸売市場「パサール・イカン・モデルン」のオープンを報じていた。2017年末に着工し日本人専門官がデザインや衛生面とかアドバイスし昨年末完工、鮮魚卸売用のブースは900あり、フードコートを備えるなど観光地化を目指すとあった。


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Muara Baruと言えば2010年に訪問したことがありブログにしたこともあるが昨日高速からここまでくる車がずっとカメラを回していた同乗記をブログにしたばかりである。
Google_muara
この一帯は日本の円借で大整備したものでスンダ・クラパのずっと北・東にプルイットのワドゥックの湖沼の水が流れている湾の東西に長く伸びる二つの岬状の土地の東側の方である。
西の方の岬はこれもブログにしたタイタニックを連想させる高層コンドミレガッタのある岬である。この二つの岬で湾状になっているが、
Muarabaru_susimasa

むしろ東の岬の先端も防潮堤も備えた湾になっており、Control Towerも備えた漁港でむしろこちらが正確にはPerabuhan Muara Baruと言うのであろう。
20190201

同乗セダンブログの終点はこのコントロールタワーであった。(昨日のブログ写真参照)近くにスシマサもある。
新パサールイカンは2017年の年末に地鎮祭を行い、1年で完成した驚異の速さである。地鎮祭には今のジャカルタ市長が挨拶したが、なぜかシドニーの市場に触れただけであった。今年の開所式にはジョコウィ大統領が来賓され祝辞でちゃんと築地に見習うとか日本に触れていたが、二人の差はさすがだなと思ったことだった。

この場所は先に触れた右側の岬の根元で岬自体が日本の金で開発されているが根元当たりは日本の手が入ってなかったかもしれない。

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ただすぐ湾側の隣が昔の卸売市場だからギリギリの境界であろう。この間のブログで掲げたゲートを入ってすぐ左側である。

20190131_1
但しゲートは二つあり最初の手前のゲートはPelabuhan Perikanan M.Bと書かれているが、二つ目のゲートが入場の料金所であり新パサールイカンは料金所の手前(つまり外)である。この二つの間の左側の住民のバラックなどを壊して作ったものでGoogle Mapは建設中のものであった。


少なくとも旧パサールイカンに関しては日本のJICAや多くの専門家たちが汗と涙を流して来た歴史があり、今それはJicaのジャカルタ漁港40年史やオリエンタルコンサルタンツグローバル社のJakarta Fishing Port 2015(折下氏)の記録に明らかである。


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