長い航海の土産ばなし
庄野英二のエッセイで後1編、心に残るのは「長い航海」と言う一編である。前回のが「短い手紙」だったが何かの符合ではない。これは復員船での乗り合わせた隣の人の語りを横で聞いた話である。昭和19年12月のこと、機関船で豪州北の離島アルケイ・タニンバルの守備隊に正月用糧秣輸送の為出航したのはいいが程なく米空軍の餌食となり沈没、偶々積んでいた連合軍からの押収品のいかだがあり、これにつかまり土人の島を垣間めぐる航海である。米軍のいかだは鉄製の8畳間ほとの大きさで中央の窪みに自然と雨水が飲料水として溜まり、舷側はコンビーフやチョコレートまで大量の食料品が貯蔵され、ブランデーまでもある代物だった。魚は手を出せば取り放題、海水を鉄板にさらせばすぐ塩になる、塩刺身である。銃弾の傷潰瘍は熱い鉄板で焼き療養、そしてついた島の人たちは豪でも蘭でもない戦争知らずのもてなしについ2~3ケ月逗留し、お願いしてカヌーで別の島にと別れ又同じもてなしを受けるが。。話は復員船が到着して終わりになった。
ほら吹き男爵の気持ちになった。地図で調べるとロッテ島の南は クリスマス島からダーウイン迄広々した大洋が広がるだけでわずかにロッテ島の南に小さい島が二つほど、人の住んでいる気配はないが、全島白砂青松、寄せる白い波頭。。これぞ理想的な島、小生の原点であった。
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