2016年10月 7日 (金)

ジャカルタ オクトーバーフェスト

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もうジャカルタではオクトーバーフェストをやっているらしい。2014年は通りすがりに撮った写真では9月であったが、今年は10月5日から7日迄、このビアレストランも祭りのイベントをやっている。7日だから今日であるが明日の夜明けまでである。とはいっても予約が居るからむつかしいかもしれない。この店はグランドインドネシアのPaulaner Brauhausであるが、チケット850,000ルピアで食事とドイツビールの飲み放題、歌や踊りで憂さを晴らすがいい。

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古いアルバムで1枚My Oktobrfestがあったが何年だったか、サファリが流行っていた時代だから相当だ。
東京のオクトーバーフェストをネットで見ると日比谷公園は9月19日で終わっているが、横浜赤レンガ倉庫は今月16日迄やっている。行くなら15日の座間空軍基地がよさそうだが今日東京ではオリンピックのパレードがこれから始まる。

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2016年9月 2日 (金)

Honganji


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明治座でHonganjiと言う舞台を見た。1月の初演では連日スタンディング・オーべイションの大盛況の再演リターンである。

Honganji

織田信長と顕如、雑賀衆、怨霊将門が舞台広しと動き回る、その舞台はマッピンギの光と大音響の渦であった。ところで信長がは刃向かった本願寺とは、最初はピンと来なかったが、なんとわが家の宗派 法然聖人から親鸞聖人の浄土真宗、西本願寺であった。1263年親鸞聖人(以下聖人などは略する)がなくなり、末娘の覚信尼さまが大谷廟堂を建てその後覚恵、次が孫の覚如が3代目として、善如が4代目として教えを継いでいった。室町時代の中頃に出られた第8代蓮如は延暦寺により弾圧されていたのを再興しそして民衆に平等を説き門徒たちは一揆を起こすに至った。約十年に及ぶ大阪石山合戦など、指揮したのは第11世顕如で最後顕如は1580年仏法存続を旨として信長と和議を結んだ。

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長男・教如が跡を継がれたが、実際は三男の准如にあてた譲状があったので、教如は隠退して、籠城を選び、後に家康に接近し、1602年家康から烏丸七条に寺地を寄進され、御堂を建立した。これが大谷派本願寺の起源で、


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この時から本願寺が西と東に分立したのである。写真はたまたまマイアルバムにあった、東京の東西・本願寺

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2016年4月18日 (月)

ダメな日は駄文

日曜日は休みの日である。朝は天気も良いようでカメラ日和であった。宿題を片付けて思い出したようにコタ駅に行くことにした。下に降りてみるとヤシの葉が大揺れの風の中雲行きも怪しい。アパートのカーコールのおじさんに「Hujanかな」と聞いて見たが返事がなく出かけを思案中だった所、カーコールのおじさんはこの発音の悪い小生のHujanをUjanとかHujangとか運転手の名前かと勘違いして呼び出している。
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ポツリと来ていたので又上に上がって一寝入りし、3時頃地面が濡れているのを確認してバスで出かけることにしたがやはり雨は来た。
00bus_perumpuanバスは前の車両が女性専用であるので前から寫眞は取れない。バスの車掌もここは女性であったが権限があり、小生を男性用コンパートメントに案内し若い男をどかせて小生を座らせてくれた。その時は相当混んでおりこの写真はコタからの帰りである。出かけの時間が2時間ほど狂ってしまい用便のCYCLEを逃がしてしまったので途中、何度も下車を考えたが、最後のコタ駅で前の車両の渋滞に15分以上かかり、断末魔の中
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バスレーンのコタ駅は円環状のちょっとした土産屋が並びそこに極楽があったので本当に助かった。
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混雑した駅を覗いただけで又降りだした雨の中、帰ることにした。駅もバスレーンも機能していることを確認できたが、この雨の中帰りはガラガラである。日曜日は男女や夫婦ズレが多くそれでも、男女では一緒に女性専用車に座れなく皆分かれるか男性専用車に座る。小学生の男もダメである。脚を掛けている男や床に座っている男達は直ぐ車掌に叱られる。乗り降りの際財布や持ち物に手をかけて盗まれないようにと何度も注意している。サリナデパート辺りは大洪水でセダンなどが立ち往生していたがバスはなんともなかった。ガンガン冷房の効いたバスが洪水で立ち往生したひにゃ、こっちも干上がってしまうとこだった。

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2016年4月13日 (水)

パデポカン・プリンゴンダニ

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スナヤン・ドライビングレンジが閉鎖され、プロマス・ゴルフ場も閉鎖されたと聞くので、次なる練習場を探しにハリムに出掛けた。そこはハリム飛行場の直前の道にあり、昔感銘を受けたきり何故か利用することがなかったが、頭の中には鮮明に覚えており、運ちゃんも当然知っていると思ったが、彼はハリム・ラマ(I)とかを思ったか、チャワンで高速を降りるのを忘れ、結果ラーマングンまで行かされた。00dsc_0040


このドライビングレンジの名前が覚えきれない程聞き慣れない名前だったのが、間違いの元だったのかもしれない。00dsc_0049


250ヤード、60席ながらブローシュアの通り壮大な作りである。 100球10万ルピアとか料金は練習場に大きな差異はない。オーナーはS氏、1990年代だったと思う。
残念だったのはビールを置いてないことだった。 この一つで経営者の大きさがわかるというものである。

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2016年1月27日 (水)

Yellowfinはgoogleで

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10月17日のブログでスノパティ通りの日系レストランを紹介したが、その時店の名前が分からずxxxWEINとしたが昨日行ってみて解った名前はYELL WFINであった。メニューにもそうなっているので間違いないが 小生は看板が壊れているとしか見なかった。つまり真ん中の空白のOがなくなっているのだ。Yellowfinとは岩波英和にない単語であった。経営グループはOBCOらしい。 住所を聞くとSoenopatiと言ったが車でそこのSoenopati薬局迄来てもここから一方通行が始まるしこの店は右側になり右側のGunawarman通りからドンドン車が流れているのでその店に入れない。ちょうど前に交通警官が見張ってもいるし、道にブロックが置かれていたので不可能だ。ここはむしろGunawarman通りのPojokという方が良いだろう。その上注意すべきはGunawarman通りも一方通行で薬局に出てくるT字路で将にT字型の大きなブロッグがあるのでGunawarmanの左側を通って出てくるとSisingamangarajaの方向に誘導されて又店に入れない。GunawarmanからSuryo方面に曲がる右側のPojokなのだ。
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店内は広く外側のテラス風やVIP用個室などもある。メニュウは可成り高い値段が着いており和牛が348,000ルピアである。メニュウもいろいろ工夫を凝らして創作メニューのつもりだが単なる組み合わせで気を衒うものが多い。例えばとんかつラーメンとかビールと酒のカクテルSake Bombとかである。Kawaianという可愛いダジャレもある。Yaki TacoというのはTakoyakiかと思ったがイイダコの串焼きであった。日本語も時々書いているがFryは揚げでOKだが Bakarだったか焼き料理の部は 戦いと書かれていた。友人がこれは 暖かい から来ているのだと分析してみせた。この大きな高級レストランは日本人相手にせず現地客100%でやっている点感心するが 日本人を拒絶するものではないのでゆっくりと利用するのもいい。午後からずっと開いている。小生にとっては鳥元に代わる店の一つになる。が後で聞いた話ではリノベや移転の話などもある。

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2015年12月29日 (火)

今は昔か カルティカプラザ

ジャカルタの重要幹線タムリン通りはモナスの南端からスディルマン通り迄であるがそれがどこかはちょっと不明。 手持ちの地図(Mastara社)ではHI ラウンドアバウトのところからスディルマンと記入されている。しかしいつだったかスデルマン通りの入り口を現す如くそこにスディルマンの像が建立され、また殆どの日本人が知らないそこの駅名がドゥクウ・アタスがスディルマンに変わっているから間違いはない。
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HIからそこへは鉄路を超えることもあり陸橋的に上り道なっており、そこに立つビルがないこともそこがまだタムリンであることを意識させることがないからである。登っていく一番端は今はUOBの高いビルが発っており、その住所はタムリンNO.10 であるので陸橋のどこかの部分からスディルマンになるのである。
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そのことを確かめるため昔そこにあったホテル カルティカプラザがあったことを思い出し探してみると なんと今も営業しているKartika Plaza Hotel、Jl. Thamrin No.10が出てきたのである。そして示された地図にはMentengもCikiniもTeuk Umarもある。縮小するとそこは南タンゲランであったが、そこにはビンタロの地名があるのでジャカルタでごまかしているようだ。昔カルティカプラザホテルでは日本人が裏にあったプールでスキューバダイビング教室をやっていた。小生にはUOBよりカルティカだ。 
1997年迄あったそうだがSkyscraperから借用した写真はもう多くのビルが林立している。

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2015年12月21日 (月)

まだ続くジャカルタ・ビエンナーレ

2年に1度の現代アートの祭典「2015」が行われているというのででかけたのは良いが、その日は統一地方選挙で閉館していた。
場所はパンチョランの塔から近くではあるが小生はスマンギの方から来たのでパンチョランで右折のパッサールミング方面に向かい最初の少し大きめ道Pancoran Timurで左折し300メートル程度でマタ左折する道にある。そこはパンチョランティムール2であるがサリーナと言っても通じる。
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そこに大きな倉庫群があるからで多分サーリーナデパートが持っているものであろう。チャワンの方からハルヨノ通りを登ってきて塔の近くで左折する手もあるのであろうが、保証はしない。そういうことで中に入ることも出来ず正門も行き過ぎたので書くこともないが、ビエンナーレというのはもともとベネチアで行われてきたビエンナーレにあやかったものでビエンナーレに2年毎の展示会の意味がある。日本でも10数ケ所でやっており国際的には無数にあるのであろう。00turbiennalerurukids_01id_2


但しインドネシア人の芸術性は一目置けるので見に行く価値はある
来年1月14日までというのでまだ日数はある。同イベントは1974年に第1回目を開催以来、休止期間を経て今回が16回目というから大したものだ。土・日はエベントもあり楽しいかもしれない。寫眞は寂しいのでサイトから1枚借用した。

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2015年3月13日 (金)

火事場めぐり

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夕方時間を見つけ先日来の火事場を見に行っって見たが、ひとつはタムリン通りのKosgoroであるがビルの16階から上が黒焦げになり、死んだように建っていた。タバコの火之後始末が悪かった上にスプリンクラーも機能しなかったとの報道だけでGolkarの内紛などと引っ掛けた報道にはお目に掛からなかった。左隣はシナールマス、右はバンクブコピンである。00toko_tiga_tambora_09mar15_34


その後コタに入りピントゥクチールから金徳院を狙ったがあるかないといけないので、運河の向こう側のタンボーラカラ回り込み右折左折しながらやっと金徳院の前に来たが この入り口から覗くと手前の方は健在である。多分本堂のろうそくでもうもうたる祈祷所当たりが燃えたのであろう。 本堂の建て替えは必要だが又建築許可で揉めるのであろうか。
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その裏手当たりに中国建物のキリスト教会(ファティマ教会)や00toko_tiga_tambora_09mar15_42


中国人の高等学園 RICCI学園も何ら被害にはあってなかったので胸を下ろしたのであるが、本当に此処だったのかと疑問が湧く。こんな消防車も入りないごみごみした所でよく鎮火したものだ。この3つのHertageはそれぞれ過去にブログにしたが、今の状況を早くお知らせするために又ブログにした。

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2015年2月13日 (金)

ブタウイ文化村

ベタウイに文化村を建設する話は昔からあったが、当時のチョンデットが既に人口流入などで文化が薄れていっていたためなのかもう10年も前にその場所はSetu Babakanに移っていたのだ。00_setu_babakan_267


正式には2000年でそれから少しずつ建設が始まったがこの間行った時は未だ建設途中であった。此処は160haの面積があり現在これを更に拡大中である。
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Serengsen Sawah湖の湖岸には文化村のメイン会場と湖上には人工島を建設予定で此処にはBetawi Museumが建設される。文化村は伝統家屋、円形競技場、多目的4階建てビル、ミニアチュアーパークがある。00gatoto_kalibata_renten_setu_babak


こちらの文化村はほとんど完成である。現在はこの池に釣り糸を垂らす人たちが集まっている。
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池の水はかなり青々としており、ここから水が放流されていた。こういう風景も珍しくアップした。
大きなイベントはジャカルタ生誕記念日のGebyar Setu Babakan FestivalとLebaran Betawiに行われるそうだが駐車場もなくアクセスは困難を極めるだろう。

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2015年2月11日 (水)

女性専用車両は花盛り

Navitimeがジャカルタで乗り換え案内事業を始めたというのでサイトを訪問したがどうもダウンロードやパスワードに弱い為失敗した。ジャカルタ通勤ラインは線によって待間隔が 大分違う様で又どこに行くにもほとんど乗り換えが必要だから利用するのにNavitimeがあれば便利だろう。小生が乗りたいと思ったのはこの間から駅舎めぐりをしたが、どこの駅も近づくのが至難の技だと嘆いていたら、なぜ列車に乗って行かないのだとのアドバイスがあったからだ。
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所で時々車で動いている時に踏切で遮断され列車の通り過ぎを待たねばならないが、最近のジャカルタ通勤列車は車体にデザイン模様でお化粧している。これらの列車はほとんどが日本からの中古であるので、車体表面もサビもなく化粧が乗るので実に綺麗である。
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そしてその中で女性専用車両も2012年から始まったものであるが、中古を輸入するときにそうした日本文化も輸入されることになり、両国が又親しくなる。ちょっと前には列車の屋根に密集するほど若者が乗っていた時代はもうなくなり、外国人も使える様になってきている。そうして便利になっていくが逆に踏切が開かずの間になるところも出てくるだろう。
写真のボゴール線で導入されている女性専用列車はボゴール-コタ間1時間25分であるがBogor始発は6:30、10:15、13:14、16:38の4本ジャカルタからも4本しか走ってない。従い車体は着飾っても中身は物売りのおばちゃん達ばかりかもしれない。
   

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