2018年6月 8日 (金)

心落ち着く善福寺とハリス


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先日のオランダ人通詞 ヒュースケンさんが会議会食の後戻ろうとしたアメリカ公使館があった所は麻布十番の善福寺である。南北線地上に出ると麻布明神がすぐにあり、又通りの向こうが十番になるが一度駅の裏手に回って遠回りして行こうと思ったが麻布図書館の裏手辺りは急坂(潮見坂)があり、面倒なのでタクシーにした。
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歩けば500メートルの所善福寺を大きくぐるりと回っても450円の距離で懸念したお寺の階段坂はなく緩やかに上がる道でホンの100メートルもなく入り口からハリス公使館跡などの案内を見ながら登っていける。


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境内にも記念碑はあったが、ここには親鸞聖人像や樹齢750年の巨大な銀杏や有名人のお墓などいろいろ由緒・歴史もあるが、
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ネットを見ればすぐ解ることだからここでは書かない。ハリス氏についても坂田精一氏の著作が詳しいので書くこともないが、日本人が初めて畏敬し信頼したアメリカ人であったことは確かである。


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2018年5月23日 (水)

麻布のヒュースケン

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先日は東京幕末観光をやってみた。ジャカルタと関係付けるとすればオランダとなるが、幕末ハリスの通訳官として活躍したのはオランダ人のヒュースケンであるが彼は最後理不尽な薩摩人に襲われ非常なる最後を遂げたものである。1853年黒船来航、54年和親条約締結の後、領事館開設と通商条約締結の為に日本にやって来たハリスはヒュースケンを連れて55年本国を出発、途中多国との要件を済ませ1856/8/21に日本に到着、領事館開設・通商条約までには2年から3年という長い期間無為な生活を強いられた。その間にも徐々には日本生活に慣れ馬上散歩なども楽しんでいた。初めての嫌なものには忌諱する気持ちも沸くが、日本人の生活にやさしさと敬意をもって付き合ってきたのではないか。友好と礼節と歓迎の日本人に愛しさをもって綴っている。台風や火災など災害にも負けず明るく復興に働いている日本人に感心する風景は東日本地震を思い出す。 西洋の文化を吸収する姿に、ひよっとして日本の良さを破壊することになるのではとよぎったこともあった。彼の滞在日記には歴史的価値も高いものであった。

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少し遅れの英国やプロシアの活動にも協力を惜しまなかった1861年1月15日は、赤羽橋外国接遇所で会議会食のあと馬で麻布の公使館に帰る途中、
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そこからすぐの中の橋で数名の攘夷テロに襲われ、警護の幕府兵は蹴散らされたが、馬丁などに雨戸に寝せられ届けられたが傷口は深く大変な苦痛のなか死に付いた。享年29歳であった。このころ外交関係で各国からの外国人も多く一人一人が日本日記を残しているがこの死に立ち会った一人の描写には慟哭を呼ぶ。それがこの日彼が埋葬された麻布の光林寺に向かうきっかけになったものだ。広尾メトロから歩き出したがすぐタクシーにし500円台で行けたと思う。地図の表示や標識もないが行ってみると明治通りに面して大きな駐車場があり奥に山門が見えすぐわかった。
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大きな禅寺で右奥に墓場が広がる鬱蒼たる丘陵地でその最右端にお墓はあった。
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どなたかもお詣りしたのであろう 花もまだ新しい。そこから接遇所があった現在の飯倉公園にも立ち寄ったが、うずもれた幕末の一つの訪問であった。詳しくは同好の士のブログをどうぞ。http://spottedseal.at.webry.info/201009/article_3.html
お世話になったGoogleからの本堂はサクラの季節、この写真の右端を奥に奥に入っていく。四つ目の右折れ通路の際右端にある。カラスに見られながらやっと探り当てた。


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2018年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます。

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皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申しあげます。

“去年今年 パソコン・スマホ 有り難う”  
本年もよろしくお願い致します。201801011508

元旦は近くの神社に初詣、徳願寺、豊受神社、春日神社と ほとんど距離500メートル範囲で回ってみた。
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お屠蘇を頂き甘酒もふるまわれ、今年一番の日本晴れの下、新春を寿いだ。今年1年また強運を祈りたい。
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2017年9月 4日 (月)

クラフト・ビールの世界

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ギネスビールの他にクラフトビールも三つ程買ってきた。ラベルのデザイン中心に選んだが、この世界の奥の深さに驚いた。
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専門デストリビューターのヤッホー・ブルーイング社が発行している季刊誌「Japan Beer」を見ての感想である。昔インドネシアでProstやEl Diabloビールを飲んでそして、「Smirnoff Ice Beer」というブログでアルコール禁止のインドネシアの方が進んでいると書いたが認識不足であった。


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日本では地酒ビールがブームであった時代には300種類の地酒があって現在でも200種はあるそうだ。この雑誌には日本各地のクラフトビールの紹介やアメリカやベルギーなどのフェステイバルの案内なども入っている日英併記の文化度がたかいものであった。


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2017年9月 1日 (金)

アイリッシュ・ウイスキーとビール

残念ながら近所のイオン・リキュールが店じまいとなったのでウイスキーなどを買ってきた。
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丁度最近アイルランドに傾注していたのでアイルランドウイスキーを探したらJamson(ジェムソン)だけがあった。アイリッシュウイスキーはアイリッシュコーヒーに入れたりするのでそちらの方が有名だがこのブランドの蒸留所は既に閉鎖されてのミドルトンが出しているそうだ。最古はブッシュミルズである。 少し甘みがあり飲みやすいウイスキーであった。もうほとんど売りつくしていたのでついでに更に近所の酒類スーパーでギネス・ビールの仕入れたがギネスもアイルランドが故郷でパブと共にアイルランドの文化である。ギネス以外ではDraughtのKilkennyが有名だ。
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ジャカルタはラスナ通りのGran Melia HotelにはこのKeltのバーがあって行ったことがあったが今やどうなっていることか。食事や散歩に良く使ったものだが、今はそういう気も薄くなり、不安になる自分に 全てが変わって行くものだと自答する。最大の変化は自分である。

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2017年7月13日 (木)

ニコライの鐘

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お茶の水のニコライ堂のそばを2~3度通ることがあり、門が開いてるままに入ってお祈りをして来た。ニコライ堂と言えば藤山一郎唄のニコライの鐘が思い出される。小関裕而作曲で昭和26年だったがなぜかよく歌った頃がある。恋に破れた乙女が祈ると言うのであまり時代背景はないが強いて言えば復興したモダーンな生活でも歌ったのであろうか。
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この教会は正式には東京復活大聖堂という。東京の復活でなくこの聖堂の再建の事だろうか、このロシア正教とも言われる教会はロシアからの司祭(後の大主教)が明治24年にコンドル他の設計で建築なったが関東大震災で崩壊したのでその後6年をかけて復興させたというからだ。 

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しかし貰った栞にハリトリス(イエスキリストのギリシャ読み)の復活と言う字が出てきたのでこの意味だと思い返した。古くはBC395年ローマ帝国が東西に分離した時からキリスト教も東西に分離が進み完全に分裂したのは1054年でこの東部のキリスト教を東方教会或いはギリシャ正教と言い各地に信仰が広がって行いった。このキリストから始まる同じ教えを総じて正教会といい、ロシア正教はロシアの正教会であって分派ではないそうだ。従いこの教会は日本正教会になる。 この豪壮な建築はビザンチン様式で1962年に日本の重要文化財になっており、ニコライ司祭も布教を続け1912年に75歳に亡くなり谷中の墓地に埋葬されている。栞にはあと、この聖堂にある聖人や聖書の中の場面が描かれた絵画(イコン)が飾ってありこれを天国の窓と呼んでイコンを通じて神と聖人に祈るということが書かれている。
未曾有の災害に見舞われた朝倉・日田地区にもようやく太陽が注ぐようになった。心からお見舞いをもうしあげたいと思います。

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2017年6月12日 (月)

ワクワク インドネシアモスク

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目黒に初めてインドネシア・モスクが開堂したニュースがあった。それほど大きなものではなさそう(2階立て総面積350m2)であるが構想20年近くになるようで場所の問題や金の問題もあろうがそれに絡んだ日本側の許可の問題もあったのであろう。結局場所は目黒のインドネシア人学校の敷地でカラ副大統領やジョコウイの訪日を経て実現した。230人収容だそうで、観光訪日のイ人も含めると全く足りないのだろう。少し美しさが足りない感じである。

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日本にあるモスクで有名なものは代々木のジャーミーモスクでこちらは1938年(日本は国策でイスラム取り込みで支援)の初代が古くなって2000年に改築したものでこちらはトルコ大使館敷地にある。1階には「トルコ文化センター」で2階が礼拝堂、(総床面積は1700m2弱)プアサ明けのイフタールの食事も食べられるそうだから行ってみたらどうだろう。ジャーミーとはCiamiiと書く人が集まる礼拝所の意味である。
インドネシア人も又ワクワク・ジャパンにやってくるだろう。ワクとは倭の国和の国と言うれっきとしたアラビア語らしい。


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2017年6月 7日 (水)

ジャカルタ大阪王将の代わりに相の川

餃子の大阪王将がジャカルタにオープンしたニュースを聞いて日本に居る小生は初めて聞くブランドだが何時か行ってみようと思ってたのが、なんやかや遅れて先週になった。
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驚くなかれこのチェイン店は隣町の相の川にもあることが解り、自転車で出かけたのであった。
大阪らしく店舗はにぎにぎしく、きらびやかで目立つ作りですぐわかったが店内はサービスの在り方を考えた色々工夫が凝らしてゆったりできる。
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メニューも目移りするが国産豚、国産野菜使用と銘打った餃子を注文、お餅の感じで芳しくかつふわりと柔らか味もなかなかであった。いつもの通り、食べるのが先で写真を思いだしたときは平らげていた。そしてやはり流行る店は従業員がはきはきしている点なと満足して後にした。
ジャカルタ1号店はプラザスナヤンの地下1階らしいが、先々月行った時は地下迄下りなかったがどうだろうか

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2017年3月19日 (日)

ゴーグルでお墓詣り

昨日、お彼岸のお墓詣りをした。と言っても九州は遠くGoogleしただけであった。 
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お墓は福岡の筑後と八女をまたぐ耳納山脈の中腹にある。昔は本当に山の中であったが、いつの間にか立派な公園、名前も吉井百年公園流水プールという公園が出来ており、

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明るい場所になっており、そこから筑後平野を見渡せる。
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数年前行った時は桜も満開のいい時であった。小学生時代 6年ほど過ごしたこの山道、災害にも見舞われず平和にたたずんでいた。この道は自動車でも行けgooglで山頂を目指した

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が行けども行けども暗い山林道で途中でやめたが山頂は800メートル強である。そこはもう八女郡で星野氏が構えた山城跡が残っている。一応先祖だという。
それにしてもここまでカメラを回したgoogle mapには感心する。(山頂と見晴らしの写真はgoogleより借用、その他は5年前)


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2017年3月 7日 (火)

日本人のすごさ

久生十蘭の「内地によろしく」という戦中小説をよんだ。あの時代日本人は国策によってこのようだったのかと小生は畏れるものがあった。十蘭は誇張法とか技巧を駆使する作家でその文体と豊富な語彙でひきつけるものがあり、2回も拾い読みした。彼の語彙や言いまわしを使ってこの小説を紹介しよう。

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ある従軍画家が占領した最南端の戦地から一時日本に帰る時言われた「内地によろしく」と言う言葉は、彼が望んで再度訪れた「懐かしい戦地」から、最後は船で日本に戻る「私」(誰か不明)に言う言葉になり、彼は密集する敵襲撃の爆風のなか布をふっていた姿で、玉砕を暗示している。この前線は鳳梨やパパヤの刺身を食い「鬼がコメを食うかい!」と何苦楚と、力む正に仙境である。毎日の爆撃に焼かれた荒野では「マラリヤもデングもなくて昼寝かな」と句を詠み、戦争をし乍ら自己を磨く。豪宕・健骨の逞しさも日本の風物の潔癖さへ懐郷し、初雪を目玉が風邪を引くほど見たいと思い、山川をさすりたい程の愛情を感じる。
テニアン、サイパンも落ち、秋になれば葉が落ちるほどの自然さで、桜が咲く迄生きているか分からない中、出港の精神と自分の位牌を抱いて飄々と神の国に遊び、自分の勇気に気づいてない日本人の生地のすごさを讃えている。日本人のあの人情もあの親切も戦場なれば、。。。。。。。あの時代だからこそと思えるが、島国日本人は情に脆く、騙されやすく、又大勢に付きやすいのではないかと今を危ぶむ気持ちも沸いた。掲げた戦争画はこの文章とは関係ない。

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