2019年3月 1日 (金)

小公園競演

ジャカルタでことし中に53公園を設置する計画が発表された。これも現市長の選挙時の公約だが、ジャカルタの場合昔からWIHIが設置されることになっており、木々の緑も多く湿度もないので格好の憩いになる。
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写真は大分前のスロパティ公園である。戸外絵画展をやっていた。ここには常設のアセアン彫像競演もある。
自分の住んでる日本の住所周りもそれに負けず多いぞといつも散歩するルートで改めて訪ねて見た。家の前の公園を出発地として家の裏の公園を終点とすると、サルビア公園ーすいせん公園―みこし公園―中央公園―白砂公園―市立公園―新場山公園―木斛公園―塩焼公園―浜道公園となり合計10公園で2.2kmになる。小生に取っての問題は皆砂土であるので風に舞う土煙に喉の弱い小生は長居出来ないことである。その上どこにも砂場がある子供用公園が中心で日本サッカーも砂場には強くなるかもしれない。それにベンチが少ないので寄付したいと時々思うがすぐ管理人が取り払う懸念にアイデアも消える。

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最後に戻ってきた公園はポケモンの団体が車や自転車で駆けつけていたが、
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夏はそれぞれで何らかの地域のお祭りをやっている。
横浜に住んでいる友人が心配そうに公園の有無を聞かれたことがあったが少し自分を慰めてみた。


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2019年2月20日 (水)

ジャカルタ湾人工島の行く末

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先週のPantai MutiaraのマップのRegattaコンドミの沖に島が見えるが、この小さな島がジャカルタベイ、ガルーダ計画の島Gであろうか。
さてここを少し離れて、このPantai Mutiaraから西に行くとWater Bomやカプックゴルフ場(PIK)がありこれを通り過ぎサークルの右に曲がる先にあの仏教の施設(Tsu Chi)に出てくる。昔この右手のモールの外のテラスで肉に食らいついた思い出がある。この時は年賀状用の海の写真を取りに来たのであるが、当時はその読み通り、この海岸は自然のままで沖にも何もなかったのであるが、
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今その海に突き出た所にはあのガルーダの島の一つが出来上がっているのである。
更にここから西に目を移すとマングローブ植樹を行う広い地区がありその西にスカルノハッタから出てくるであろう道がその島Dにつながる段取りなのである。
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さてこの島の行く末はどうなるのであろうか。それは今の市長が勝手に開発中止を命令したからである。その後のニュースでは既に出来上がった大きな人口島の中心には400を超える住宅や店舗が街を形成しており、その中で立派な設備を持つフード・コート的な店が営業を開始しているのである。
これには市長もお手上げではないだろうか。立派な設備で今この地区は料理さえ上手ければ極楽である。市長も選挙に公約にしたものの今漁業団体の一つ(漁業正義のための連合 :キアラ)と調整に手間取っているのであろう。オランダか見に行かねばなるまい。
何のことはない。この話題は昨年6月19日にも書いていた。

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2019年2月13日 (水)

Muara Baru とMuara Angke漁港

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ジャカルタベイの新漁港のMuara Baruのある岬の隣はレガッタマンションのある岬で、その根元の西側は16棟のベイ・ウオークアパートがありマンションの海側のプールからまっすぐ大洋に泳ぎ出せる風景に思わず喝采を送った新年であったが、少し間違いがあったかもしれない。というのはマンションから直接泳ぎ出せるはずもなく、根元というが、それは全くの根元ではなく少し離れた西に位置し、
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尚且つ写真の左上のレガッタのすぐ南に後一つマンション群(4棟)がありそれと勘違いしそうなものにも触れねばならないからである。そちらの方はこの地区のパンタイ・ムチアラ(パールビーチ)にはないと思っていたのにあった高層マンションで名前もApartmen Pantai Mutiaraであった。


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それよりもあの時添付した地図にBay Walkの更に西の方の、地図の外にPerabuhan Perikanan Muara Angkeという同じような名前の漁港があることを書き加えていたがそれは間違いで、それはそんなに地図の外ではなく、このBay Walkがあるすぐ隣の所であったのである。それで書き直した地図をアップするが、ここは綺麗好きな日本人にはこちらの方が好きかも知れないと思ったからである。しかしMuara Baruにはスシマサがあるが此方はIkan Bakarの方がいいかも知れなく、単にこちらにもチャンと築地みたいな立派な魚市場があると言うことだけを報告することにする。おいしそうな蟹がある!
https://www.youtube.com/watch?v=mguebZ1nIbI 尚 Bay Walk地区はいろんな施設(Apart,Condomi、Towerなど)がGreen BayとかSeaviewとか言う名前を冠しているので追記しておく。

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2019年1月31日 (木)

車窓より ジャカルタセダン同乗記

昨日感心したのはジャカルタの道路をずっと撮り続けるYouTubeを発見したことであった。日本に居ながらにして渋滞無しにその人の車で行けることでずっと見続けたが、その一つに何と小生がつい最近Google Mapで辿った、それも日本人はまず行かない辺鄙な街が目的地で又驚いたのである。 
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先にGoogle Mapで辿った時は北海岸の海の浸食を見に行ったのであるが、この港湾地区は日本の援助もあり、そのようなことはなく、その後ムティアラ(真珠)やレガッタのマンション群のブログになった訳である。

Youtubeのその人の車に同乗した積りで見ていたがTVのようにCMが邪魔することもなく、高速では音楽を聴きながら、快適である。しかしずっと同じスピードの大型トラックの後ろであったり、高速を降りると渋滞につかまり、赤信号は辛抱して待たねばならないのは論を待たない。 音楽はいつの間にか町の雑踏の音に替わりその中でモスクの大音響や人々の阿鼻叫喚が聞こえてくることになる。
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高速を降りてMuara Baruに直進するのかなと思ったら直進がブロックされている。残念!と思ったら、どっこい車は左に曲がり少し行ってUターンしやっぱりMuara Baruに向かう。 例の門も通り過ぎ長い突堤部分に行くかと思うやそこは突堤の根元の漁船などがひしめく港であった。

そう読者もイライラすると思うでしょうがこの手法は既にどこでもあるようで珍しいものではない。日本のものを探したら大阪から東京ICまで延々6時間半ものがあった。

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そしてこの話題におさらばして、何の気なしに開けたYoutube はQuantic-Time is Enemyと題したもので古いサンフランシスコの街をフォードから取り続けた映像であった。 なんとこの手法は1906年110年間前からあったのである。


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2019年1月29日 (火)

Coming Soon Cosmic Gate


Google AlertでキャッチしたがドイツのDJグループのJakarta公演があることを知った。

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まだ先で4月26日場所は Colosseumだから十分間に合う。チケットが問題だろうが。。現在はバブル時代のディスコから更に進化したtranceの時代のようだが彼らは大人の時間の楽しみに見えた。
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Colosseumは北の昔K7と言われた時代をブログにした。http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/k7-48d4.html同じ筋にキューケンホフのコロニアル・レストランがある。
Colosseumでは続けて色んな公演をやっている。

1月30日(水) 21:30 GARAGE

2月1日(金)  21:30 CHRISTOPHER LAWRENCE

2月8日(金) 22:00 Dennis Sheperd

3月23日(土) 0:00 Watch Bohemian Rhapsody (2018) Full Movie Free
なんとQweenも無料でやってるのか

日本のCyber Japanも少し前にDragonflyだったかBlowfishでやったニュースまで引っかかってきた。知らない世界であった。


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2019年1月24日 (木)

ヒンドゥー教と仏教の親密さ

何故かこの所、ヒンドゥーが頭に浮かんでくる。切っ掛けを探したが遡って正月の仁王様詣りになる。考えると2030~50年頃には人口においてインドが中国を逆転する予想だし、それと関連もするがヒンドゥーは今でも仏教より信徒が多い世界三大宗教の3番目である事実は案外知られてないのではないか。
それより仏教とヒンドゥ-の近さ・共通点とは何だろうと自問してもこれも知らない。
インドネシアでもヒンドゥーは仏教より多く信徒があり歴史もある。(写真はジャカルタのヒンドゥ寺院、阿吽の像を思い出させる)
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近さの一つが仁王様などが属する天部は明王と共に密教特有の仏でこの天部とはインド古代神話における、天界に住む神々のことだそうで、仏教に取り入れられた護法神であるが、この中にwikiには以下のように多くの神々が挙げられている。
梵天 - ヒンドゥー教の神ブラフマーに由来
帝釈天 - ヒンドゥー教の神インドラに由来、四天王が仕える。
弁才天 - ヒンドゥー教の神サラスヴァティーに由来 - 七福神の一柱。
大黒天 - ヒンドゥー教の神マハーカーラ(シヴァの別名)が日本の大国主命と習合 - 七福神の一柱。
吉祥天(功徳天) - ヒンドゥー教の神ラクシュミーに由来
韋駄天(陰天) - ヒンドゥー教の神スカンダに由来
鳩摩羅天 - ヒンドゥー教の神クマーラに由来
摩利支天 - ヒンドゥー教の神ウシャスに由来
荼吉尼天 - ヒンドゥー教の神ダーキニーに由来
等があり更に続けて金剛力士(仁王)、八大龍王、八部衆 、阿修羅衆、十二神将等わざわざヒンドゥーと注釈の無いグループで多くの神々がいる。
ちなみに個別に金剛力士をwikiするとやはりサンスクリットでは「ヴァジュラダラ」と言い、とあり、全ての天部はヒンドゥーと関係するものと確信される。 この他にもヒンドゥーと仏教にはまだまだ多くの接点があると思うが以上だけでも近いことが解れば、後は突き詰めるのはいずれと伸ばしておくことができる。
今はこの宗教同士の親近感が一番重要だと思う。


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2019年1月23日 (水)

ジャワ横断高速の料金

21日よりジャワ島横断高速が全線開通し公団ジャサマルガが料金を設定したと言う報道でデティックコムの内容は以下の通りであった。
1. Pemalang (Sewaka)-Batang (Pasekaran) Rp 39.000
-Segmen Pemalang IC-Pasekaran Rp 34.000
2. Batang-Semarang (Kalikangkung) Rp 75.000
3. Semarang (Banyumanik)-Solo (Kartasura) Rp 65.500*
-Segmen Salatiga-Kartasura Rp 32.500*
4. Ngawi (Klitik)-Kertosono Rp 88.000
5. Kertosono-Mojokerto Rp 46.000
6. Gempol-Pasuruan (Grati) Rp 36.000
-Segmen Pasuruan-Grati Rp 13.500
7. Porong-Gempol Rp 9.000
NNAも一番高い区間はチコポ~パリマナンでRp102,000、或いはグンポル―スラバヤでRp4,500 とまちまちで20区間がリストされている。今回開通で新料金が設定されたのは上記の1とか2で多くは順次、開通していたが無料だとか旧システムであったものである。一番わかりがいいのがCNBCの次の写真である。


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小生も以前ジャカルタの高速網論文風を書いたが、ジャカルタ近辺の料金は殆どが格安で且つ一律が多く自信が持てなかったのでここでトランスジャワを使って料金の解説(知る処)をしてみよう。とりあえずメラックから始めそれぞれの区間でフルにつないでいったケースで到着地でその間のフル料金を記載する。(記載は省略)
但し料金システムにはterbukaとtertutupがありbukaは一律で乗り入れ時支払うものでtutupは乗ったGTから通り過ぎた区間を計算し降りたGTの区間で、定められた料金マトリック表により清算し支払うもので、これらのシステムの全体印象は都心は一律で格安だが遠距離は距離により高い感じである。1km当たりの料金は利用者の採算感覚から基本はアバウトRp800程度で設定されているようだ。
報道ではジャカルタからスラバヤまでの料金はRp660,500だそうだ。又メラックからバニュワンギまでは1138kmだそうだが、Pasuruanからは未開通である。
小生が計算するとJKT-SBYは675,500であり、距離は1,130㎞(JKT-SBYは763km)となる。
JKTとスマランの市内の内環道路の扱い方次第である。


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2019年1月 8日 (火)

スカブミの観光資源 その2 ジオパーク

スカブミがインドネシアの観光経済特区に指定された報道が8月21日にあり、それでマイ・ブログで「スカブミの観光資源のその1」を8月31日に書いたのであったがその2を書くのは長く忘れていた。その1を書いたときはサラビンタナやリドゴルフ街道を書き、多分その2でトランプとCPグループのプロジェクトを予定していたのであるがその動きのニュースは一向に出てこなかった。 
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その時感じていたのは大昔泊まったことのあるプラブハンラトゥもあるし、その東南部は更に広く鬱蒼とした半島部分はRafting が有名だ。それに今Googleで見ると少し前に触れたCurug (Air Terjung)が無数にある。そして今ここはCiletuh Pelabuhan Ratu Geoparkとして、ユネスコの世界(グローバル)ジオパークに認定されていたのを知ったのであった。

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Ciletuhは国道3号線がタンジュン・レスンからプラブハンラトゥに入って来る直前の港湾・ビーチ地区である。この自然公園は上に述べたCurugが散在(Cangkuang、Cikaso、Caweni、Cigangsa、Sodong、Awang、Sawer...)する広大な山地をふくむものである。ジオパークとは地球科学的な価値を持つ遺産で地球公園とも言われる自然保全公園でインドネシアには下記の4つが世界ジオパークとなっている。
Batur UNESCO Global Geopark
Gunung Sewu UNESCO Global Geopark
Ciletuh - Palabuhanratu aspiring UNESCO Global Geopark
Rinjani-Lombok UNESCO Global Geopark
日本も阿寒・阿蘇・伊豆など9つあるが、ドイツ12、イタリア8、フランス7、英6個などで中国は飛びぬけて37個もあるがあとは韓国3とか殆ど1ケ所程度であるが米国は不参加かも知れない。
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この地区には今やホテルも50ケ所以上あるが、昔泊まったというホテルは日本の戦後賠償で建てたホテルでサムデラ・ビーチホテルで今もあるものの殆どぎりぎりで立っているのであろうか。GoogleではGrand Inn Samudera Beachとして思い出のプールも写っている立派な写真があった。ここはあの不気味な気持ちになる伝説の南海の女王ニ・ロロ・キドゥル用の部屋がある。

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2018年12月24日 (月)

季節のご挨拶

my season's greetings to you. I hope the new year will be full of success and happiness for you and your famil


季節のご挨拶を申し上げます。皆様にとって成功と幸福に満ちた新年になりますように祈っております。

” こぞの凶 返してけふの吉のふだ ”


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2018年のアジア大会はスカルノ時代の1962年のスタジアムを少し手を入れて開催、インドネシアは中韓日に
次ぐ金を得て自信を確たるものとした。 このあと、2032年の国際オリンピックには手を挙げている。

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民間は華人を中心に土地を求めて海上に迄、ニュータウン建設に邁進、年間25cmもの海水上昇には防潮堤
を信じつつ、 写真はインチランドのRegatta隊の雄姿。 


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ジャカルタベイに建設される13もの人口島をつなぐ防潮堤の最先端はかくのごとく高速と列車が走る。地球温暖化防止に水を差す輩はとこにもいるものだが、河川水と海水は常時ポンプで浄化。


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都心では最大の交通の要綱のインターチェンジでは巨大な円形空中コリドーが森ビルにより寄贈され今やジャカルタは高速が4重~5重の環状で包み、鉄道KRL。MRT、LRT、BRTが網掛けるようになる。
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スハルト時代からのコタマンディリ(独立都市)建設は6,000Ha(パリ市の半分の規模)を筆頭にもう30ケ所、
郊外型イオンモールも5ケ所へ。(写真はセンツール)


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都心の夜は曾っての産油国の誇りで12色に輝きわびさびはない。いつの間にか様変わりの幻影の中、ここはどかと見間違う。                                                            


お陰様で目出度く傘寿を迎えることができそうです。平成を最後に賀状はネットに致したいと思います。西見恭平

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2018年12月14日 (金)

ウブット絵画の恩人Bonnetとスカワティ侯

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Renatoで出て来たRudolf Bonnet はオランダの画家で1950年代バリ絵画の一時代を作った人である。生まれは1895年アムステルダムで生まれ、1920年イタリーを旅行し色々な風景画なども残したが先人の助言でバリにやって来たのは1929年である。バリでは独人芸術家Walter Spies や王家の筋のCokorda Gde Raka Sukawati(後東インド国大統領)と知り合いUbudに招かれSpiesが帰国後も彼の家を譲り受けた。日本が占領時はスラウエシのキャンプに収容されていたが1947年に又バリに戻ってきた。スカルノが良き支援者となり彼の14もの作品を購入した。しかし最後はスカルノの増長を見て、ポートレイト造りを拒否したため1957年追放された。
それまでは彼らは、1936年Sukawatiの力添えでPita Maha(偉大なひらめき)と言うグループを作り創作と販売活動をおこなった。1954年に Museum Puri LukisanをSukawatiと共に作ったがこれは彼の追放の為完成を見ず、やっと1972年になって再訪しオープニングにこぎつけた。彼は1978年オランダで病気を得て亡くなったが、葬儀後バリでも火葬が行われた。彼の絵画は筋肉質のバリの生活者などを描いており印象的だ。
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プリルキサン(絵画の王宮)美術館は今もバリの有数の観光訪問地ともなっており戦前から近代の、カマサン・スタイル、バトゥアン・スタイル、ウブド・スタイル等の技法で描かれた絵画や彫刻が展示されその緑の庭園とカフェの雰囲気の中で良き時代のバリの生活がしのばれそうだ。


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