2019年1月23日 (水)

ジャワ横断高速の料金

21日よりジャワ島横断高速が全線開通し公団ジャサマルガが料金を設定したと言う報道でデティックコムの内容は以下の通りであった。
1. Pemalang (Sewaka)-Batang (Pasekaran) Rp 39.000
-Segmen Pemalang IC-Pasekaran Rp 34.000
2. Batang-Semarang (Kalikangkung) Rp 75.000
3. Semarang (Banyumanik)-Solo (Kartasura) Rp 65.500*
-Segmen Salatiga-Kartasura Rp 32.500*
4. Ngawi (Klitik)-Kertosono Rp 88.000
5. Kertosono-Mojokerto Rp 46.000
6. Gempol-Pasuruan (Grati) Rp 36.000
-Segmen Pasuruan-Grati Rp 13.500
7. Porong-Gempol Rp 9.000
NNAも一番高い区間はチコポ~パリマナンでRp102,000、或いはグンポル―スラバヤでRp4,500 とまちまちで20区間がリストされている。今回開通で新料金が設定されたのは上記の1とか2で多くは順次、開通していたが無料だとか旧システムであったものである。一番わかりがいいのがCNBCの次の写真である。


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小生も以前ジャカルタの高速網論文風を書いたが、ジャカルタ近辺の料金は殆どが格安で且つ一律が多く自信が持てなかったのでここでトランスジャワを使って料金の解説(知る処)をしてみよう。とりあえずメラックから始めそれぞれの区間でフルにつないでいったケースで到着地でその間のフル料金を記載する。(記載は省略)
但し料金システムにはterbukaとtertutupがありbukaは一律で乗り入れ時支払うものでtutupは乗ったGTから通り過ぎた区間を計算し降りたGTの区間で、定められた料金マトリック表により清算し支払うもので、これらのシステムの全体印象は都心は一律で格安だが遠距離は距離により高い感じである。1km当たりの料金は利用者の採算感覚から基本はアバウトRp800程度で設定されているようだ。
報道ではジャカルタからスラバヤまでの料金はRp660,500だそうだ。又メラックからバニュワンギまでは1138kmだそうだが、Pasuruanからは未開通である。
小生が計算するとJKT-SBYは675,500であり、距離は1,130㎞(JKT-SBYは763km)となる。
JKTとスマランの市内の内環道路の扱い方次第である。


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2019年1月 8日 (火)

スカブミの観光資源 その2 ジオパーク

スカブミがインドネシアの観光経済特区に指定された報道が8月21日にあり、それでマイ・ブログで「スカブミの観光資源のその1」を8月31日に書いたのであったがその2を書くのは長く忘れていた。その1を書いたときはサラビンタナやリドゴルフ街道を書き、多分その2でトランプとCPグループのプロジェクトを予定していたのであるがその動きのニュースは一向に出てこなかった。 
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その時感じていたのは大昔泊まったことのあるプラブハンラトゥもあるし、その東南部は更に広く鬱蒼とした半島部分はRafting が有名だ。それに今Googleで見ると少し前に触れたCurug (Air Terjung)が無数にある。そして今ここはCiletuh Pelabuhan Ratu Geoparkとして、ユネスコの世界(グローバル)ジオパークに認定されていたのを知ったのであった。

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Ciletuhは国道3号線がタンジュン・レスンからプラブハンラトゥに入って来る直前の港湾・ビーチ地区である。この自然公園は上に述べたCurugが散在(Cangkuang、Cikaso、Caweni、Cigangsa、Sodong、Awang、Sawer...)する広大な山地をふくむものである。ジオパークとは地球科学的な価値を持つ遺産で地球公園とも言われる自然保全公園でインドネシアには下記の4つが世界ジオパークとなっている。
Batur UNESCO Global Geopark
Gunung Sewu UNESCO Global Geopark
Ciletuh - Palabuhanratu aspiring UNESCO Global Geopark
Rinjani-Lombok UNESCO Global Geopark
日本も阿寒・阿蘇・伊豆など9つあるが、ドイツ12、イタリア8、フランス7、英6個などで中国は飛びぬけて37個もあるがあとは韓国3とか殆ど1ケ所程度であるが米国は不参加かも知れない。
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この地区には今やホテルも50ケ所以上あるが、昔泊まったというホテルは日本の戦後賠償で建てたホテルでサムデラ・ビーチホテルで今もあるものの殆どぎりぎりで立っているのであろうか。GoogleではGrand Inn Samudera Beachとして思い出のプールも写っている立派な写真があった。ここはあの不気味な気持ちになる伝説の南海の女王ニ・ロロ・キドゥル用の部屋がある。

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2018年12月24日 (月)

季節のご挨拶

my season's greetings to you. I hope the new year will be full of success and happiness for you and your famil


季節のご挨拶を申し上げます。皆様にとって成功と幸福に満ちた新年になりますように祈っております。

” こぞの凶 返してけふの吉のふだ ”


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2018年のアジア大会はスカルノ時代の1962年のスタジアムを少し手を入れて開催、インドネシアは中韓日に
次ぐ金を得て自信を確たるものとした。 このあと、2032年の国際オリンピックには手を挙げている。

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民間は華人を中心に土地を求めて海上に迄、ニュータウン建設に邁進、年間25cmもの海水上昇には防潮堤
を信じつつ、 写真はインチランドのRegatta隊の雄姿。 


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ジャカルタベイに建設される13もの人口島をつなぐ防潮堤の最先端はかくのごとく高速と列車が走る。地球温暖化防止に水を差す輩はとこにもいるものだが、河川水と海水は常時ポンプで浄化。


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都心では最大の交通の要綱のインターチェンジでは巨大な円形空中コリドーが森ビルにより寄贈され今やジャカルタは高速が4重~5重の環状で包み、鉄道KRL。MRT、LRT、BRTが網掛けるようになる。
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スハルト時代からのコタマンディリ(独立都市)建設は6,000Ha(パリ市の半分の規模)を筆頭にもう30ケ所、
郊外型イオンモールも5ケ所へ。(写真はセンツール)


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都心の夜は曾っての産油国の誇りで12色に輝きわびさびはない。いつの間にか様変わりの幻影の中、ここはどかと見間違う。                                                            


お陰様で目出度く傘寿を迎えることができそうです。平成を最後に賀状はネットに致したいと思います。西見恭平

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2018年12月14日 (金)

ウブット絵画の恩人Bonnetとスカワティ侯

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Renatoで出て来たRudolf Bonnet はオランダの画家で1950年代バリ絵画の一時代を作った人である。生まれは1895年アムステルダムで生まれ、1920年イタリーを旅行し色々な風景画なども残したが先人の助言でバリにやって来たのは1929年である。バリでは独人芸術家Walter Spies や王家の筋のCokorda Gde Raka Sukawati(後東インド国大統領)と知り合いUbudに招かれSpiesが帰国後も彼の家を譲り受けた。日本が占領時はスラウエシのキャンプに収容されていたが1947年に又バリに戻ってきた。スカルノが良き支援者となり彼の14もの作品を購入した。しかし最後はスカルノの増長を見て、ポートレイト造りを拒否したため1957年追放された。
それまでは彼らは、1936年Sukawatiの力添えでPita Maha(偉大なひらめき)と言うグループを作り創作と販売活動をおこなった。1954年に Museum Puri LukisanをSukawatiと共に作ったがこれは彼の追放の為完成を見ず、やっと1972年になって再訪しオープニングにこぎつけた。彼は1978年オランダで病気を得て亡くなったが、葬儀後バリでも火葬が行われた。彼の絵画は筋肉質のバリの生活者などを描いており印象的だ。
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プリルキサン(絵画の王宮)美術館は今もバリの有数の観光訪問地ともなっており戦前から近代の、カマサン・スタイル、バトゥアン・スタイル、ウブド・スタイル等の技法で描かれた絵画や彫刻が展示されその緑の庭園とカフェの雰囲気の中で良き時代のバリの生活がしのばれそうだ。


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2018年12月10日 (月)

Renatoのバリ追想絵画

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これもJP誌の古いスクラップ、インドネシアの画家Renato Cristianoのものである。インドネシアの画家と言ったが彼は1926年ローマ生まれとしか紹介がなくインドネシア国籍なのかどうかは解からない。1950年代にBeauxArtsボザール等で学び、サンスクリット語も学んでいる。アフリカ、中近東、インド、豪州、中南米、ポリネシア、スマトラ、ジャワと
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旅行をして最後はバリに来てオランダ人画家Rudolf Bonnetに師事したが、師匠が帰国後残された画廊美術館を任されていた。時はスカルノの時代でスカルノがバリに休息など逃れて来るたびに色々相談に乗ったりしていたが 愈々晩期には危険もあったものかローマに帰国した。帰国後バリの生活が脳から離れずバリを描き続けたようだ。

Renatoは平和なバリの人々の平和な生活など薄いシャーベットトーンで描いている。
ロープロファイルでネットでも紹介記事は少なく、南米のサッカーヒーローの記事だらけで影は薄い。JP誌の掲げた絵はこの切り抜きだけは見当たらず貴重品だと思う。

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2018年12月 7日 (金)

鰐園 いま昔

大昔、1980年代だったかジャカルタ北岸プルイットにワニTaman Buayaがあった。そこがいつの間にか大きなモールになって消えてしまったが、人に聞きながら移転先を何度も探し回ったことがある。タンゲランではないかとの意見もあり空港近辺を探したが、今考えると好きでもない鰐をなぜ探しまわったか不思議だ。そしてその若さも遠のいた今同時に二つのワニ公園を探し当てたのである。二つとも似た作りで 鰐用の沼地に只いると言うだけの感興の無さが感じられた。
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プルイットの時は小生も若く子供もつれて行ったが、鰐を高木の枝葉と香木の香り或いは煙などで睡眠術にでも掛けたような儀式も行なわれた。おなかの下の下肢の間の袋から仕舞っている器官を取り出したり、頭上にワニを掲げあげたりと、当時その後大分吹聴し廻ったことを思いだす。
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現在の場所は一つは確かに空港方面でそこから北東のNaga村迄行くTanjung Pasirにある。あと一つはチブブールのボゴール寄り、Jonggolで近くのPasar Randan Adventure公園にある。入口のワニ像も同じようなもので今どっちがどっちか確認するのも、行き方を詳述するのも気力がのらないのでTaman Buaya Indonesia Jayaで探してみるがいい。昔、探索に困難を極めたのは、小生がジャカルタのホームペイジjakarta.go.idを当てにしたこと、或いはGoogle Mapがまだなかった時代だったのである。 しかし又昨今はスンターの運河などにワニが現れたニュースがあり、或る政治家は、それは河川がきれいになった証左だとかとぼけたことを言っていた。どこも政治家は無責任だとおもったものだ。

今若い人たちはGTネットの充実で探索は簡単になった事だろう。
探索に40年を失った喪失感はあるが40年の執念の喜びも一入だ。 Googleさん、ありがとう

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2018年12月 5日 (水)

ボゴールとジャカルタをつなぐ街道、国道、一般道。。

サワンガンゴルフ場は足が遠くなったのは日本人が今は皆メンバーゴルフ場に行くようになってからである。ボゴール方面のJaogorawi高速やCibomi高速添いには立派なゴルフ場が多い。夕刻の帰りは都心に近づくほど渋滞がひどくなる。
一度試しに一般道を通ってジャカルタに帰ったことがあるが見物がてらとしてはいい。その時はチマンギスからチラチャスを通った気がする。ボゴールには宮殿があったのでJKTとのつながりはいい方だろう。今地図で調べるとJKTとBGR間は東はブカシ山地であり、西はタンゲラン・チサダネ大河平地との間でJKT-Bogorを結ぶ一般道路は主として3本となる。

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その代表がボゴール街道であり、次に地図上Bogor-Jakartaと書かれておりボゴール街道と取り違えそうな道路があった。ボゴール街道は国道かと思ったが此方のJl. Jkt-Bogorの方が国道で国道12号線となっている。

その南端はボゴールの外環高速のJl.Baruでそこからボゴールの北部を東にCibadakに向かうが、逆に北端はジャカルタのスマンギ辺りで全体の距離は48㎞と短い国道である。この道でSawanganゴルフ場の近くから北へ辿ると->Ciputatから->ポンドクインダーゴルフ場を越え->スナヤンゴルフを越えマンガラ・ワナバクティのパルメラー・チムール迄北上する。

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ボゴール街道Bogor Rayaはジャゴラウイの近くで並走の形である。こちらの南端は確かにボゴール宮殿に突き当たるが北のジャカルタはJl. D.Sartika若しくはSutoyoである。その間特にゴルフ場はないが南からめぼしい地名を挙げるとCibinong-Cisalak-Cimanggis-Pasar Rebo-Condetくらいであろうか。
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そしてその二つの南北線の間にいくつかのルートはあるが辿って行けるのはTol Desariを利用する路線で、南端は例えばボゴールのペタ博物館のある一般道路のPemuda通りから向かえる。そして北端はBlok-MのAntasariである。その間の主要なゴルフ場はパンカラン・ジャティとマトアがある。

あと主要な道路はジャカルタはパンチョラン・ディルガンタラの塔から逆に下るとPasar Minngu―Lenteng Agung-Situ Babakan-UI-Margonda-Citayamそして最後はDesariのBojongGedeに合流しボゴールのPumuda通りに出てくる道がある。
又ラグナン動物園にはMampangから下る方がよい。その先はMatoaに出ていずれDepokを越えBojonggedeで合流することになろう。


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2018年12月 3日 (月)

サワンガンバルーは今

いつ頃からかジャカルタでの行動範囲が非常に小さくなりジャカルタは中心地(或いは南北線と東西線のみ)とジャカルタ東部工業団地の行き来程度、時に南部はボゴール市に飛ぶ程度になっていた。と言うよりゴルフ場が市内のゴルフ場ばかりで東部のゴルフ場も西部のゴルフ場にも出かけるのがなくなったと言う方が近い。 
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そして一番ご無沙汰したのがサワンガンゴルフ場で、ここは小生がインドネシアでの初めてプレーしたゴルフ場である。今やどこを通って行っていたかは詳細言えずポンドクチャベ飛行場(ゴルフ場)の横を通って下っっていったようだ。
サワンガンゴルフ場は昔サワンガンバルと言って、大人数のコンペなどよく利用したものだ。往復の距離と危険度から、その後は続々オープンするメンバーコースに移っていった。
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近くにサワンガンラマと言う9ホールのものもあったが、それこそ40年もご無沙汰した話で、それが今名前がTalaga Golfになったのだろうか。その辺に5メートルの大蛇が生け捕りにされたニュースもあったがラマの方は多分住宅地になってしまって、もうないのであろう。
サワンガンバルはホテルも兼営し現存と思うが、WEB上での日本語の訪問記は2013年2月の

Sawangan Golf Hotel&Resort : Belly Dancer Reehaneは時々ジャカルタがあったのみ(?)であった。 
市内の安いゴルフ場は7ケ所も閉鎖・転用されてしまって、小生はゴルフ用具も断捨離したようなわけである。

写真もないのでGoogleから借用、まんざらではない。


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2018年12月 1日 (土)

日イの国道1,2,3号線

スマトラの高速が少しずつ進んで最近大統領がスマトラの南端バカウヘニを視察したがここはジャワからフェーリーが着く港である。600pxpantura_001

ジャワの対岸はメラックであるがジャワの高速第1号はここから始まる。それは歴史が教えるところでジャワ北岸道路でほとんどの人が知っているところがジャワ島の真ん中或いは南岸にも劣らぬ大都市があるがそれはどうなっているのかと気になるが、ちゃんと国道3号線が同じメラックから東のバニュワンギまでと担当していて安心する。
フェリーでメラックに上陸したら5㎞程専用道路を走り5.5㎞先のGT Merakの手前で国道1号線が始まり東に向かうが、そこで同時に国道3号線が南に下り同じく東に向かいバンドンージョクジャカルタを通ってバリ対岸のバニュワンギで1号線とつながるのである。
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それでは2号線はどこかと言うとこの1号線と3号線をつなぐJagorawi高速である。但し正確にはTomangからSumanggiを通りCawangに至る部分と、CiawiからSukabumiの手前のCibadakの部分のCibomi高速の部分を含める。つまりCawangで1号線、Cibadakで3号線と繋がっている。 
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日本の1号線―3号線は東海道―山陽道―九州道(九州は 門司から鹿児島)である。昔フランク永井の夜霧の第二国道https://www.youtube.com/watch?v=NBnGN41m-gUや国道18号線https://www.youtube.com/watch?v=xCy5HoDL_oUは今の番号ではないので注意が必要。


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2018年11月30日 (金)

天女の滝 Curug

Curugと言うのは小生に取っては地名であり、なぜか飛行場の記憶がある。単にそれを地図で見ただけの記憶かも知れないが、最近南タンゲランからボゴールの地図を眺めているときこの地名は多く出てきてこれは何か意味があるのだと気が付き

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今初めて辞書を引くとCurug =滝であった。(ただし小生の前からの大学書林にはない)
結局Jakartaを除くBODETABEKの全てにあることがわかった。中には二つもあるので10指になるのであろう。記憶の飛行場はKarawaci近くのBudiarto Airportだろうか、今は固有名詞が付いている。其処ら当たりの道路名にCurug Rayaが付いており行政区の名前でもある。

しかし中でもBogorが山地だから一番多いのであろうがGoogleで多くの人が滝と戯れるレクレーションの滝の池の写真を見つけた。ピンと来たのはスカルノだったかそのコレクションにこの滝で湯あみする天女たちの絵画である。確かそれもBidadariの名前がついていたMisteriのCeritaはまたの機会にしよう。


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ピンと来たはずである。この絵は「Bidadari 天女とBasuki Abdullah」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/bidadaribasukia.html?optimized=0と言うブログで書いたのを見つけた。

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