2017年10月11日 (水)

Cagar budayaの分類毎件数

Cagar Budayaの文化省のサイト評価で書き忘れたことがある。それはCagar Budayaの内容である。英語で引くとcultural heritage であり、文化遺産であるが日本では文化財との範疇で国宝、重文から 無形の民族文化財まで(現在総指定数は2万件)であるが、インドネシアで以下の区分で1400アイテムを構成している。
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Benda:45件:文化物 ?と言おうか宝冠、像、或いは国歌を作ったスプラプトマンのビオラ、ジャカルタの古代史           Tugu石碑碑文 こちらのマイ写真は肝心のTuguは部屋の隅で半分撮り忘れている。
Bangunan:935件:建物: これはすぐわかるがStruktur や Situs等にも混じっている。
Struktur:102件:構造物:橋梁、墓碑
Situs:309:史跡?:Candi、墓地、駅、カゼドラルも含む。
Kawasan:21:地域 名勝地?:サンギラン、モナス、プランバナン、聖パンチャシラ公園、ボロブドル、マジャパヒット(Trowulan)、オンラスト島、クラトン等  
Sangiran_timthumb

サンギランと言えばジャワ原人の故郷であるが借用写真では何かわかるかな


20170924
マップを付けたがこれをクリックすると詳細ペイジに出ればいいのだが、名前だけが浮き出るだけでそれもジャカルタはほんの5ケ所である。1400あるという100頁強をめくりながら愚直にリストを作っていくしかない。 多分まだ政府も製作中の事だろうからその努力を多とするが、日本でも新しい観光サイトは政府がやるよりむしろ民間のそれも、海外からの観光客が作っている現実を思い出す。


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2017年10月 9日 (月)

6万もあるイ国文化遺産

Borobudur_card1
教育文化省のペイジによるとインドネシアには6万もの文化遺産Cagar Budayaがあるそうである。のっけっから驚く話であるが、それには遺産として登録年度ごとのアイテム数があるが2015年と2016年度の登録数が2万台である。別の表で合計が14,000とか、いくつもの数字がありご丁寧に年度ごとのグラフ迄あるがお互いの関連が不明でなんのことやらわからなかった。。さらにマウスを動かすとかろうじて、それらしい数字の1,400アイテムが出てきたが、今度はこれが100頁にわたり写真付きで表示が試みてあるが、残念ながらリストがなかった。その上なぜか写真がないものも多い。従いこれをここに紹介表示することはできないし州別の表示もないので、Wikiで見てみるとアチェ州は50のリストから始まっていて、これだと思うと、これまた多くの州がブランクである。ジャカルタもブランクに見えたが、
00station
よく見ると一つだけStasiun Jakarta Kota があった。ジャワ島全体で言うと5つしか記載がない。Cagar Budayaというのは昔から認定されていたものであるが、2010年に法律第11号文化遺産法が出来、昔の物を取り消してしまったようだ。登録は個人所有でも可能であり町村役場で受け付けており、これがあの数字になったのであろうか。又国レベルでは省の審査機関があり、これが認定したのが1,400の数字のようだ。州レベルの認定などは州の機関が行うはずだが、州は昔からやってきているので、この法律を無視しているのかもしれない。しかしこの法律は違反の罰金が種々なるケースで定められ最高15年懲役の50億ルピア罰金迄あるので気を付けなければならない。
このサイトの圧巻は国宝レベルのCagar Budaya Peringkat Nasionalが102件の素晴らしい写真と十分な説明があることだ。二つほど借用する積りだったがやめてマイアルバムから持ってきた。しかし上述1,400アイテムについても写真があるものは使えるだろう。


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2017年8月17日 (木)

Balai Pustakaは引っ越した

Balai Pustakaは古い国営企業」として昔ブログにした。この時はその住所が解らなかった時代であったがその後の発見を今日追注記した。発端はGoogle Mapで財務省の新しいニックネームが付けられた建物群を追っているときで、それにはラパンガン・バンテン側とワヒディン側と二つに分かれるが、そのワヒディン側のコンプレックスの真ん中にPuskurbuk Balitbang Kemdikbudという建物がありそれは財務省の持ち物でもなく、アドレスもワヒディンでなくグヌン・サハリとあったためである。
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Googleでこれらの建物名をクリックしてもBad Gatewayとしか出なかったりしたが、Balai Pustakaのサイトがあり未だ生きており住所はJalan Bunga No. 8 - 8A Matramanであることが解り、この住所をmapに訪ねると住宅地であり施設的な建物は見当たらず、

最後はMapでBalaiから探すと出てきたのがこの写真である。あまり意味が解らない表現だと思うが、解説するとGoogle Mapはいつもかなり最新状況が維持されており、そのアップデートに古いエディションとかいくつかのMapがあり、住所検索のやり方でそれらのエディションがそれぞれ出てくるのではないだろうか その二つのエディションで当該物件の場所の表示マークが異なるだけで番地表示は同じであるので Balai Pustaka自体はこの写真の所に引っ越したのは確実だ。 
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Balai Pustakaのサイトにその様なニュースもなく pindah(引っ越し)と引っかけても何も出てこなかったので手間取ったが、このGoogleからの借用写真を掲げたくブログにしたようなものである。
ここにはインドネシアの民話や説話や歴史など教科書風の安価な書籍があり、外国人には丁度良いと思われる。
尚グヌン・サハリの跡地には新しいビルがたっているが多分 Gedung Frans Sedaと思われるが又にしよう。

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2017年8月 7日 (月)

日米イの冬の星座(要修正)

大統領宮殿保有のスカルノの絵画コレクションの展示会が又催されているとジャカルタ新聞が報じている。
Nasional_galari
前回ブログした時と同じナショナルガラリーで30日までであるが、展示会のタイトルは「スナンドゥン・イブ・プルティウィ」というのを目にして、それなら先週のブログのオランダ第二次侵攻の際、元空軍参謀スヨノのラジオ放送でスデルマンの言葉と共に流した歌謡が「Ibu Pertiwi」と言うものだったことを思いだした。この歌でインドネシアの子供たちや青年・ラスカルがオランダへの戦いをぶっつけたという事件エピソードがある。プルチウィと言うのは地上をつかさどる女神の意味らしいが、展覧会のタイトルがこれとどう関係するかは不明ながら、画才のあるスカルノが流刑されたフローレスで描いた風景をインドネシアのトップ画家バスキ・アブドゥルが描いた「フローレス島」があるからであろうか。他には同じバスキの作品「ニャイ・ロロ・キドゥル」や、トップのトップのラデン・サレーの「水を飲むトラ」があるそうだ。
所でこのIbu pertiwiの歌をYouTubeで聞いて見るとなんと懐かしい「星の世界」である。先々週のMy Favoriteカンツリーのブログで書いたWhat a Friend we have in Jesusと同じで偶々昨日ギターで弾いた練習曲であった。これらの歌詞はすぐ取れるのでIbu Pertiwiの歌詞を少し転記しておこう。
Kulihat ibu pertiwi
Sedang bersusah hati
Air matanya berlinang
Mas intannya terkenang
Hutan gunung sawah lautan
Simpanan kekayaan
Kini ibu sedang lara
Merintih dan berdoa
イスマイル・マルズキ作とあったが歌詞の方だろう。

歌い出しは“月なきみそらに きらめく光”で英語では“ What a friend we have in Jesus” 原曲はアイルランドのコンヴァース作曲『Erie(エリー)』で 或いは「いつくしみ深き」ともいう賛美歌のひとつ。賛美歌を作詞したのはアイルランド人ジョセフ・スクライヴェン (1819 - 1886) である。
「母君にまさる」ともいうタイトルがある通り、インドネシアの独立戦では 母の呼びかけで母なる国土防衛に立ち上がる情景が良く表れている。
よく似た曲で間違いやすい「冬の星座」がある。これはアメリカの作曲家ウィリアム・へイスによる1871年の歌曲『Mollie Darling(Molly Darling)』でこのモリーダーリンも昔良く歌ったが、歌い出しは“木枯らし途絶えてさゆる空より” 英語の方の歌いだしは Won't you tell me Molly Darling でエディ・アーノルドの歌がなつかしい。 アメリカのウィリアム・へイス作詞作曲による1871年の歌曲である

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2017年8月 4日 (金)

インドネシアのKEK経済特区はリゾート

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この間からインドネシアの各州の成立歴史を訪ね歩いていたが昔の経済特区はどうなったのだろうかと頭をよぎっていた。昔は KAPETと言い小生はその指定地や特区の便宜を文書化していたので、当時のリストはすぐ出せる。当時は独立したチモールが入っていたので15ケ所であったが、すべてが外島である。
1.- Natuna :西カリマンタン、ナツナ諸島
2.- Biak :イリアンジャヤ ビアク島
3.- Batulicin :南カリマンタン
4.- Sanga-Sanga:Samarinda、Balikpapan東カリマンタン
5.- Sanggau:Sanggau、Sambas、Pontianak西カリマンタン
6.- Manado-Bitung:北スラウエシ
7.- Mbay :Mbay、Ngada NTT州 フォローレス島
8.- BUKORI:東南スラウエシ州 Buton、Kolaka、Kendari
9.- Batui:中部スラウエシ州、Batui県
10.- Kahayan、Kapuas、Barito River 中部カリマンタン
11.- Sabang:アチェ州
12.- Seram:マルク州、Masohiを中心地としたSeram島及び周辺諸島
13.- BIMA:ヌサ・テンガラ州、Bima県、Rasanae
14.- Pare-Pare:西スラウエシ

これらは先に名前だけが先に出て開発が後になり、だれも投資者はいなかったというのだろうか。これは1996年頃であり、その後同じ特別経済地域(KEK)が制度化されたがその時も先に名前があった。中にはもう観光地化された土地バンテン州もありブログにしたが、外島を挙げると
2012年政令第29号  セイマンケイ経済特区(北スマトラ州)
2014年政令第31号  パル経済特区(中部スラウェシ州)
2014年政令第32号  ビトゥン経済特区(北スラウェシ州)
2014年政令第50号  モロタイ経済特区(北マルク州)
2014年政令第51号  タンジュンアピアピ経済特区(南スマトラ州)
2014年政令第52号  ロンボック・マンダリカ経済特区(西ヌサトゥンガラ州)
2014年政令第85号  トランス・カリマンタン・マロイバトュタ経済特区
2016年政令第6号  タンジュンクラヤン経済特区(バンカブリトゥン州)
2016年政令第31号  ソロン(西パプア)
がある。なんと同じものはビトンだけのようで不思議の感じを受ける。つい先日のニュースでこの内「中スラ州とロンボクの経済特区が月末稼働へと動き出す話で又なぁんだと驚いた。しかし実際投資計画を持ち込んだ外国企業もある話で、それが又なぁんと韓国の発電所であの騒動のパル市で投資額も6兆ルピア(600億円弱)というから先見の明にも驚きであった。KAPETの時代は投資認可簡素化は当然ながら租税・関税の軽減・不徴収の租税便宜が中心であったがKEKは出入国管理、土地問題などもあるそうだ。インドネシアのKEKにするかミャンマー・カンボジヤにするか思案のしどころだ。
写真はパルのホテル JTBのサイトから借用した。 辺境地はリゾートでもある(なりうる)。

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2017年7月24日 (月)

TosariからBromoへ

先日の「蘭領時代の日本人が撮影して作った絵葉書のコレクション」を読み進んでいた時スラバヤの次にTosariと言う地名にぶつかった。この地名はジャカルタ市内のど真ん中にもあり、不思議だったので2年前に「Tosariの言われとホテル群」でブログした。その時もこのTosariはあのブロモ山登山の入り口であることは解ったのであるが、

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今この本には1930年前後の佐竹氏作成絵葉書があり、その構図は以前知り合いのS女史からもらった写真と同じ構図であることに気が付いた。
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そしてS女史もそうだが佐竹氏も良くも2,329メートルのブロモ山を見下ろす写真が撮れたものだと感心したが写真に添えてあった地名Penandjaan(綴り間違いで正しくはPenanjakan)を調べるうちに、それはブロモを囲む外輪山の一つでこちらが2,770メートルで、こちらがブロモの朝日を見るViewpointであることが解った。Pointそのものは沢山あるので角度は少し違うことはあるが、当時は多分Pasuruanから上ってきてきこTosari(郡?)に来たようだが 小生がカメラも持たず登った時はProbolinggoから上ってブロモに一番近い拠点Cemoro Lawangに泊まり朝方ロバにのり急坂を下りて砂の海を渡りブロモに登っての旭日参拝であったが、それよりもここPenanjakanで拝んだ方がいいようだ。
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S女史はその後ブロモ山に回ったのであろう。現在はJeepがレンタ出来、どこなりと簡単にいけるようだ。


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2017年7月18日 (火)

災害に思う

世界寄附金ランキングというものがある。たまたまいくつか覗いていたら日本は114位と最下位グループにあり、この数字は90位から104位、114位と下がっているようだ トップはアメリカと競い勝ちの、なんとミャンマーであり、インドネシアも第7位である。日本には一般寄附金や政治献金から教育文化福祉の寄付金や特定寄付金と範囲が広く所得控除もあれば税額控除迄あるのだがインドネシアにはザカートの所得控除オンリーのなかである。
ザカートは金で言えば88グラム以上の資産を保有しておればその2.5%の寄付の義務があるが、生活に必要な住宅や、自動車、事務機器などは除かれる。だからインドネシアが上位になるわけでなく多くの富豪がPhilanthoropyに励んでいるからだろう。 日本が低いのは百説あろうが自分に聞くのが一番だ。

話は災害寄附金から防災の話に飛ぶがtwitterについ、以下物申した。
災害報道に提案 :ヘリやドローンを駆使してくまなく状況を流す。 各社同じ場所に集中取材、罹災者のスマホが頼りではいけない
国土を守る国土省に提案 :海に堤防、山にも津波防壁が必要だ 山と海は凸凹ではないのか

環境省も防衛相も問題ありそうだ じっくり観察すれば対策のアイデアは沸くはずだ


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2017年7月 4日 (火)

ジャカルタ仏教寺院の代表

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先日のJP誌が紹介したヒンドゥ寺院に続いて仏教関連では金徳院がクレンテンとして挙げられた他Kuil Hoseijiがあった。この名前は初めて聞く名前であったがそれもそのはず日本のNichiren Shoshuと出ていた。このJP誌は仏教代表として挙げたのではなく、宗教間の寛容を示しているのであろうか。場所はJl. Padang No. 27, RT 05/08, Pasar Manggisとあるがラスナサイドアパートの裏側の込み入った場所で昔一回くらいは通っているがこのKuilはその後の2005年建てられたものである。
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外観はGoogleで見ると寺院の雰囲気はないのでJPから内部の写真も借用しよう。(やっぱりやめた)

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)は漢字も解らずネットで調べると日蓮宗ではなく今は仲たがいしているらしいが創価学会の出た所であったり、釈迦は日蓮の弟子だとかとんでもないことがヤフー知恵袋には書かれている。ここまでブログを書いてしまったので、仕方なくgoogleから借用写真で閉めておこう。
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この5月の仏陀生誕日ではジャカルタの報道ではgrogolのタマンアングレクの裏側辺りのVihara Ekayanaがお祝いの場所になっていたが、そこは勿論Viharaもあろうが仏教の教育や訓練を行うBuddhis Centerなのである。

創価学会と言えばクマヨランにジャカルタの本部が昔あってブログにもしたが、その後どうなったかはこれもこれと言うニュースも聞かない

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2017年6月28日 (水)

ジャカルタのヒンズー寺院のpura2


レバランと言うわけでもないが最近の宗教間の不寛容の出来事がおおく、各宗教の教会の記事も目にする。JP誌では5つの宗教でイステクラル、カセドラル、イマニュエル、ラーマングン、ホウセイジを挙げていたが、この仏教のホウセイジだけ初耳で素人でも仏教は金徳院以下多くあり、モスクも教会もまた多くブログで紹介している。
Pura_abnityajaya
ヒンズーはラーマングンにあるPura Adyya Jayaは「http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_1362.html」としてブログしたがあとなかなか思いだせない。
そこでネットで探してみるとジャカナビの「多様な宗教が共存する街ジャカルタ#2」で珍しくヒンズーが三つも紹介されていたので、それを引用すると
Pura Chandra Prabha: Jelambar, Grogol petamburan
Pura Penataran Agung: Taman Sari Halim Perdana Kusumah, Jakarta Timur
Pura Amerta Jati: Pangkalan Jati, Cinere, Kota Depok
である。ジャカナビの筆者は「ヒンドゥー寺院最大の年間行事である創設記念祭・オダランでは。。。(神聖な一番奥の境内は本来他宗教にはゆるされないがここではきちんと正装しておればおおらかだし何よりバリそのものの空間に心打たれた)」と言う風な表現である。
いずれ行くこともあろうとマイアルバムで他を探すと、北のプルイットに仏寺と共存していた「Candi Shiva Mandir北のヒンドゥー」と言うのをこれも既に昔ブログにしていた。更にマルンダにもあった記憶がある。
Pura_agung
少し小さいがちゃんとしたPuraなら、タナアバンのプラサスティ墓碑公園にいく道にPura Agungというのがある。

Taman_mini_mperangko
少し違うがタマン・ミニの切手博物館の入口にはどんとそびえ立つ割れ門がある。宗教を離れて海のバリを味わうならアンチョールの奥のJimbaranレストランがいいだろう。最後の二つもブログにしていた。

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2017年6月16日 (金)

東部ジャワの思い出 ブロモからトロウーラン

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歴史ある郵便局を改装したHermitage Hotelを探したとき見つけたのが東ジャワ州のジャカルタ事務所である。ホテルの横の道Jl. SumarangがT字路のPasuruanに出たところにある。小生が摂った写真は民家の豪邸風であったが、
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Googelで確認してみると出てきたビルの風景は近くのMetropole 21のように見えたがよく観察するとこれはスラバヤの本庁の写真であった。
小生にとって東ジャワとはスラバヤとその近辺であるが何度も既にブログにしている。 まだ触れてないところはTrowulanである。
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マジャパヒット王朝の都であるが、この広い地域のあちこちに壮大な遺跡が散らばって存在している。記憶にあるのは多分ミュージアムであったのだろうか 戸外の吹き抜けの展示場にいろんなものがあった記憶だけである。
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Googleの地図で見るとCandiなど遺跡がマッピングしている。更に拡大すると他の名前も浮き出てくるが中心部の全体を写す大きさはこれが限界である。
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ここにはブロモ火山の山頂での旭日を仰いだ後廻って来たのであるが途中のどこを通ったのかも思いだせない。明け近くいまだ暗黒の中刻々変わる大宇宙の神秘に身体が持って行かれそうな感覚に陥った事を思いだす。その当時カメラも持ってなかったのか悔やまれるが断捨離でひょっとして出てくるかもしれないといつもそこで終わっている。Bromoの写真は知り合いのS女史からもらったもの。トゥロウーランはGoogleから借用である。


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