2017年6月28日 (水)

ジャカルタのヒンズー寺院のpura2


レバランと言うわけでもないが最近の宗教間の不寛容の出来事がおおく、各宗教の教会の記事も目にする。JP誌では5つの宗教でイステクラル、カセドラル、イマニュエル、ラーマングン、ホウセイジを挙げていたが、この仏教のホウセイジだけ初耳で素人でも仏教は金徳院以下多くあり、モスクも教会もまた多くブログで紹介している。
Pura_abnityajaya
ヒンズーはラーマングンにあるPura Adyya Jayaは「http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_1362.html」としてブログしたがあとなかなか思いだせない。
そこでネットで探してみるとジャカナビの「多様な宗教が共存する街ジャカルタ#2」で珍しくヒンズーが三つも紹介されていたので、それを引用すると
Pura Chandra Prabha: Jelambar, Grogol petamburan
Pura Penataran Agung: Taman Sari Halim Perdana Kusumah, Jakarta Timur
Pura Amerta Jati: Pangkalan Jati, Cinere, Kota Depok
である。ジャカナビの筆者は「ヒンドゥー寺院最大の年間行事である創設記念祭・オダランでは。。。(神聖な一番奥の境内は本来他宗教にはゆるされないがここではきちんと正装しておればおおらかだし何よりバリそのものの空間に心打たれた)」と言う風な表現である。
いずれ行くこともあろうとマイアルバムで他を探すと、北のプルイットに仏寺と共存していた「Candi Shiva Mandir北のヒンドゥー」と言うのをこれも既に昔ブログにしていた。更にマルンダにもあった記憶がある。
Pura_agung
少し小さいがちゃんとしたPuraなら、タナアバンのプラサスティ墓碑公園にいく道にPura Agungというのがある。

Taman_mini_mperangko
少し違うがタマン・ミニの切手博物館の入口にはどんとそびえ立つ割れ門がある。宗教を離れて海のバリを味わうならアンチョールの奥のJimbaranレストランがいいだろう。最後の二つもブログにしていた。

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2017年6月16日 (金)

東部ジャワの思い出 ブロモからトロウーラン

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歴史ある郵便局を改装したHermitage Hotelを探したとき見つけたのが東ジャワ州のジャカルタ事務所である。ホテルの横の道Jl. SumarangがT字路のPasuruanに出たところにある。小生が摂った写真は民家の豪邸風であったが、
Gedungjatim
Googelで確認してみると出てきたビルの風景は近くのMetropole 21のように見えたがよく観察するとこれはスラバヤの本庁の写真であった。
小生にとって東ジャワとはスラバヤとその近辺であるが何度も既にブログにしている。 まだ触れてないところはTrowulanである。
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マジャパヒット王朝の都であるが、この広い地域のあちこちに壮大な遺跡が散らばって存在している。記憶にあるのは多分ミュージアムであったのだろうか 戸外の吹き抜けの展示場にいろんなものがあった記憶だけである。
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Googleの地図で見るとCandiなど遺跡がマッピングしている。更に拡大すると他の名前も浮き出てくるが中心部の全体を写す大きさはこれが限界である。
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ここにはブロモ火山の山頂での旭日を仰いだ後廻って来たのであるが途中のどこを通ったのかも思いだせない。明け近くいまだ暗黒の中刻々変わる大宇宙の神秘に身体が持って行かれそうな感覚に陥った事を思いだす。その当時カメラも持ってなかったのか悔やまれるが断捨離でひょっとして出てくるかもしれないといつもそこで終わっている。Bromoの写真は知り合いのS女史からもらったもの。トゥロウーランはGoogleから借用である。


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2017年6月 1日 (木)

ワヒディン裏通り散策


財務省辺りをめぐっていた時、思いだして旧財務省 Gedung Maramisの裏にある道を通ってみた。新財務省のGedung Juandaの入り口の前の道Wahidin Raya通りがグヌング・サハリ通りに出る20メートル前と数メートル前で左に曲がる道が突き当りのブディウトモ通りに出る迄の道でここは手前がWahidin 2で数メートルの方がWahidin1通りである。
Ade_bus106
記憶にあったのはこの数メートルの幅の間にオランダ時代の小さな住居用建物があったのであるが行った時には消えていた。
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代わりにこの道の最後の部分にTaman Wahidinと言う縦型の公園があった。Wahidinの像が二つ立って伝記を40字程度で紹介していた。刈り込んだ樹木からの木漏れ陽が心地よさそうだが、この道は最初から最後まで軍の施設がずらりとつながっているので行動には気をつけなければならない。
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どちらかと言えばGest House やMessであるが陸軍参謀本部財務局Mabes AD、第2師団Kodam II SriwijayaやKODAM IVデポネゴロ師団とそうそうたるものである。亡くなったと思ったオランダの建物は後で見るとWahidin 2の方にあったが、こちらは狭い道の両サイドに屋台風食堂が並ぶ道でその隙間から今にも倒れそうで見えた。小生の10数年前の写真でもこの通りである。この建物はDu Busの名前がついているがこの名前はデ・ビュス・デ・ヒシニース総督の名前であるが総督との関係は解らない。小生のブログでは既に建物の紹介は「こんなところにもオランダの建物」でそして「Wahidinとブディ・ウトモ」でSTOVIAのワヒディンを紹介している。

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2017年5月31日 (水)

Sunan Kaljodoの称号


インドネシアのNetizenがちょっと、小生には小さな衝撃の3~4連発だった記事を載せていた。記事の内容は小生がいつかブログにも書いたカリジョドに絡まる話で、それまでアジアNo.1の赤線地帯であった地帯が今は広くて大きな緑地児童公園になっている。これはアホック知事がやって来た一連の都市クリーン作戦の一環でもあったが、➀ 協力でもしてきた(?)NUの青年組織GPアンソールがアホックになずけた特別な称号は 聖人ワリソンゴの“Sunan Kalijodo”と言うものであった。
Kalijodo_ahok
この悪徳高い地帯を一掃したこの公園はRuang Publik Terpadu Ramah Anak (RPTRA児童に優しい集中施設) で Ruang Terbuka Hijau (RTH 緑地公園)にしたことで② かかったお金は200億であるが、これにはアホックが大企業シナールマスにCSRを働きかけた結果で、なぜシナールマスになったのかは二人をつなぐ人がいたとかでもあるが、公園にはシナールマスの名前の看板が出ており、シナールマスに取って何か得することもあろうかと断定している。⓷住民などを追い出し得たのも不良青年との契約資金によるもので、そこの屋台などのPSKの生活も面倒を見たのはその地に飛び込んだ或る人がいたからと言い、➃ アホックは一粒の汗も金も出してないので称号は間違いであると締めていた。Netizenはなんでも批判するネットかな どこまで本当なのか 写真は借りてみたが。。。。

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2017年5月25日 (木)

Kemen. Agama宗教省はどこ

ジャカルタ1のメインストリートのタムリンでもいつの間にか知らないビルが建っている事がある。


Thamrin_agama_ri
この建築の特徴からよく目に付いていたのであるがこのビルに右端を突っ込んだような2階建ての建物があり、こちらの壁に宗教省の名前がついていたのでこちらのビルもそうだろうと、一つの内部の総局の住所を調べるとThamrin No.6の14-15階と出ていたのでこのビルも宗教省の建物であることが解った。ザーカート喜捨やハジ関連でお金はあることは知られているが、これはちゃんと予算から出ているらしい。
所が本部はラパンガン・バンテンにあるし、これだけ大きなビルで何をしているのか不思議である。 政教分離の日本人には宗教省など不思議に思う存在であるが、イスラム・マジョリティのインドネシアでは結婚や巡礼、祝日管理で公平に支援し不関与の関与をしてそれなりに意味があるのであろう。
日本外務省の紹介記事では2013年現在の宗教の分布は・イスラム 87.18%、プロテスタント 6.96%、カトリック 2.91%、ヒンドゥー 1.69%、仏教 0.72%、儒教0.05%、その他 0.13%となっており、5大宗教のみが認められていると言われるが確か儒教(Konfusianisme)も道教(Taoisme)も認められているはずだし、地方にその権限があるようだ。
但し宗教省の組織ではBIMAS(Bimbingan Masyarakat)と言う総局がそれぞれの5大宗教ごとにあるが、イスラムが6階(~9階?)、Kristenが10-11階、Katorik 12-13階?、Hinduが14-15階だがBuddhaはサイトも工事中で不明、そのたPHU総局(Haji& Umrah)や官房等もある。儒教等は総局も個別サイトもない。
この建物は2010年頃建てられたものであるがそれまでここに何があったか記憶にない。左の2階建ての建物が半分残す形で右も占めていたのであろうか。


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ラパンガンバンテンの宗教省本部は今はどうなっているか、サイトではHumasがまだいるようだ。マイアルバムを探るとここではいつもボロブドールホテルの撮影に気が向いて撮ったものが皆無であるがGoogleではちゃんとある。今日の結論は宗教は解らないということであった。一神教であることが必要であったが、ヒンズーはその為Sang Hyang Widhiなる神を登場させた。無神教の我々でも天地創造の大神は信じている。

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2017年5月22日 (月)

トラジャの教会

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クラパ・ガディンに行くとき左手に大きな建物が目に付く。前回のクラパ・ガデインのバード・マーケットに行った時も国道との間の汚いチリ運河に姿を映すこの建物の遠景を写真に収めた。

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この建物は大きな船形の高床式伝統家屋で、西スラウエシのタナ・トラジャの建物でトンコナンと言われるものである。
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屋根がそっているところからスディルマン通りからスティア・ブディ通りに入る所にある教会に似ており、ここも教会だろうと考えていた。調べるとトラジャは人口65万人の少数部族であるがその65%がプロテスタントで17%がカトリックのキリスト教が82%で現地の旧来のアニミズムであるアルクが6%でイスラムも同じ6%に過ぎない。それには歴史があり、ほんの1910年代からでイスラムのブギスなどの侵略にオランダが手を現地側に立ち応援、更に布教活動も行っていたが1965年頃にイスラムのテロに反発した現地住民のキリスト教入信が増え、更に観光地化政策と相まってこの比率になったものだそうだ。

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トラジャの教会はみなこんな形かと言うとそうではなく、この形は観光を促進する意味が込められているのだろう。
キリスト教であり、訪問者には歓迎してくれると思う。
Googleで見ると正面写真は樹木に邪魔されて隣の共和国海軍のPangkalan(ベース)であったが住宅コンプレックスに見えた。


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2017年5月17日 (水)

バードコンテストやArcici ホテル

バードマーケットの話が終わり、プラムカ辺りの地図から前々から再訪したい場所があり、そこに思いをはせ、調べていたら又バードの話に戻ってしまいそうだ。
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そこは昔ラワサリ・スポーツセンターであるが名前が変わってARCICI Sport Centerでこの名前にも関心があった。ここには昔日本人が営業していた🎤があり、裏のプールサイドで特別にバーベキュー大会をやった思い出がある。


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このプールは当たり前だけどGoogle Mapでもはっきり見える大きなものでジャカルタのベストプールでも9位に入るものである。写真はrenang Privatさんより借用。
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名前に関心があったのはコタの金徳院隣の華人学校SMA Ricciがあり華人がここまで買収したのかと思っていたからであるが今見ると少し綴りが違うので別であろう。そしてネットで次に出てきたのはHotel D’Arciciである。
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どこか見たことがあるなとマイアルバムを探すとこれはスプラプト通りのC’One Hotelと同じであった。 D’とC’でいわくありげであるがこれも買収し、名前が変わったのであろうか。サッカーチーム養成の学校やサウンドスピーカーのブランドも出てきたが、
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最後はインドネシア国軍が名前を冠したPIALA PANGLIMA TNI杯を競うバードコンテストArcici Bird Contestであった。こうしていっぱい出るけど、結局はArciciの裏にいるのもその意味すらも解らなかった。ましてやインドネシアでは鳥の何を競っているかも、興味を失ってしまった。


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2017年5月16日 (火)

ジャカルタのバード マーケット


プラムカのバード マーケットと言えばアジアでも有数らしい。ジャカルタでは日本人がなじみの
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バリトーやジャティネガラにも大きなものがありこの三つで206種 1.9万羽が売られており、内1.6万羽はプラムカと言う。
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ここは卸業者が入っており、アジア有数であると言うも不思議ではない。と言うのは基本的にワシントン条約などで野生の鳥類を捕獲しそれを販売することは世界的に禁止されている(細かなニュアンスは知らないが個人趣味の飼育は養殖種になる?)中でインドネシアは取り締まりが不十分であるからである。
特に国際自然保護連合(IUCN)が絶滅の危機があると定めるレッドリストにリストされているが ここにはそれが8種も扱われており、その他インドネシア政府が禁止している種類も22種類もあったというので注意が必要だ。人気があるのはKenari、Burung Kacer、Murai Batu などがあるそうだが深入りはやめておこう。
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プラムカのバード ショップはプラムカ通りに面していくつもあるが奥に入る道もびっしり、更に道沿いのパサール・プラムカと言うモールの裏にグドゥン・ブルンと言う鳥獣専門の建物がある。写真は正面だけ。


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2017年5月15日 (月)

メジロの季節 Burung Kicau

朝のテレビは番組表を見るとスッキリ、ビビット、特ダネ、羽鳥と競争で2時間ざつダネ報道をやっている。国際や政治ニュース解説はいいとしてその後は社会の裏面ニュースが多い。TV自身が人間の性悪そのままむき出しである。 それとは関係なかったがメジロの鳴き合わせ競技の模様を見たが、今メジロは飼育も禁止された保護鳥らしいが愛好家が集まり3分間に何回なくかの競争をしていた。特殊専門測定器もあり、優勝となると3分間に700回にもなるようだ。
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それで思い出したのはインドネシアのとあるバード・マーケットである。プラムカは有名だが何時ぞやクラパガディングの裏通りで、どうにか調べた結果それはJl. Pelepah Rayaであった。 
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片側水路とブッシュ(真ん中に運河あのある)で反対側だけ店が並ぶ通りで何軒もバードショップがある。通ったときは1軒に人が集まっており、それが鳴き合わせでもやっていたのかと連想したのだったが、インドネシアでは個人個人で軒先の木にぶら下げて程よい鳴き声(kicau)を楽しむようだ。或いはマーケットもあることから趣味から投資にもなっているのだろう。
Googleで見るとYoshiko Bird Shopなるのが記載されていた。日本の名前を付けただけだと思うがその気長さにここで名前を出して宣伝してあげよう。


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2017年5月 9日 (火)

インドネシアイスラム発祥の地

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インドネシアへのイスラムの到来は一般には13世紀後半にイスラム教を信仰するインド人やアラブ人の商人が香辛料を求めて到来すると同時に、イスラム教の布教も始まったがそれ以前でもそれらの商人などが住み着き影響を与えたとされる。そのお墓がジャワには12世紀、そしてスマトラアチェに9世紀として存在するとされてきたが、最近それより早い7世紀のものがあったことを知った。
Presidenjokowimeresmikantugutitikno

そのこと自体は以前から言われていたものであるが、それを歴史的事実としてジョコウイ大統領を招いてその記念碑の除幕式をやったニュースがあったのだ。その場所はスマトラのタパヌリ県のBarus郡という田舎町で、そこの海を見張らせる山中の墓地Mahligaiである。地理的にはトバ湖の南で又ニアス島の対岸である。そして7世紀と言うのは西暦672年で、その年に亡くなったSyekh Rukunuddinの墓がその証拠となっている。イスラム歴で48年というから冗談ながらここがイスラム発祥の地ではないかと思いたくなる古さである。しかしどうしてここにアラブ人がたどり着いたのか、難破船なのか、ここから他所への交通路はなかったので数代で途絶えたのだろうか。写真の山上墓地はWikipedia、MonumenはDNABERITA.COMより借用、GoogleMapではまだ山上にたどり着けず、不思議とこの周りはキリスト教のHKBP教会だらけであった。


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