2017年8月 7日 (月)

日米イの冬の星座(要修正)

大統領宮殿保有のスカルノの絵画コレクションの展示会が又催されているとジャカルタ新聞が報じている。
Nasional_galari
前回ブログした時と同じナショナルガラリーで30日までであるが、展示会のタイトルは「スナンドゥン・イブ・プルティウィ」というのを目にして、それなら先週のブログのオランダ第二次侵攻の際、元空軍参謀スヨノのラジオ放送でスデルマンの言葉と共に流した歌謡が「Ibu Pertiwi」と言うものだったことを思いだした。この歌でインドネシアの子供たちや青年・ラスカルがオランダへの戦いをぶっつけたという事件エピソードがある。プルチウィと言うのは地上をつかさどる女神の意味らしいが、展覧会のタイトルがこれとどう関係するかは不明ながら、画才のあるスカルノが流刑されたフローレスで描いた風景をインドネシアのトップ画家バスキ・アブドゥルが描いた「フローレス島」があるからであろうか。他には同じバスキの作品「ニャイ・ロロ・キドゥル」や、トップのトップのラデン・サレーの「水を飲むトラ」があるそうだ。
所でこの歌をYouTubeで聞いて見るとなんと懐かしい「冬の星座」である。これはアメリカの作曲家ウィリアム・へイスによる1871年の歌曲『Mollie Darling(Molly Darling)』でこのモリーダーリンも昔良く歌ったが、先々週のMy Favoriteのブログで書いたWhat a Friend we have in Jesusとも同じでこちらは昨日もギターで弾いた練習曲であった。これらの歌詞はすぐ取れるのでIbu Pertiwiの歌詞を少し転記しておこう。
Kulihat ibu pertiwi
Sedang bersusah hati
Air matanya berlinang
Mas intannya terkenang

Hutan gunung sawah lautan
Simpanan kekayaan
Kini ibu sedang lara
Merintih dan berdoa
イスマイル・マルズキ作とあったが歌詞の方だろう。
と、ここまで書いてこれは“冬の星座”ではないことを発見した。道理で歌えないはずだ。こちらは同じく古い、明治43年の文部省唱歌の“星の世界”で、原曲はアイルランドのコンヴァース作曲『Erie(エリー)』で讃美歌の一つであった。
「母君にまさる」ともいうタイトルがある通り、インドネシアの独立戦では 母の呼びかけで母なる国土防衛に立ち上がる情景が良く表れている。
やっぱり書かないと又間違いそう

星の世界 =月なきみそらに きらめく光  What a friend we have in Jesus 敢て アラン・ジャクソン

冬の星座=木枯らし途絶えてさゆる空より Won't you tell me Molly Darling エディ・アーノルド


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2017年8月 4日 (金)

インドネシアのKEK経済特区はリゾート

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この間からインドネシアの各州の成立歴史を訪ね歩いていたが昔の経済特区はどうなったのだろうかと頭をよぎっていた。昔は KAPETと言い小生はその指定地や特区の便宜を文書化していたので、当時のリストはすぐ出せる。当時は独立したチモールが入っていたので15ケ所であったが、すべてが外島である。
1.- Natuna :西カリマンタン、ナツナ諸島
2.- Biak :イリアンジャヤ ビアク島
3.- Batulicin :南カリマンタン
4.- Sanga-Sanga:Samarinda、Balikpapan東カリマンタン
5.- Sanggau:Sanggau、Sambas、Pontianak西カリマンタン
6.- Manado-Bitung:北スラウエシ
7.- Mbay :Mbay、Ngada NTT州 フォローレス島
8.- BUKORI:東南スラウエシ州 Buton、Kolaka、Kendari
9.- Batui:中部スラウエシ州、Batui県
10.- Kahayan、Kapuas、Barito River 中部カリマンタン
11.- Sabang:アチェ州
12.- Seram:マルク州、Masohiを中心地としたSeram島及び周辺諸島
13.- BIMA:ヌサ・テンガラ州、Bima県、Rasanae
14.- Pare-Pare:西スラウエシ

これらは先に名前だけが先に出て開発が後になり、だれも投資者はいなかったというのだろうか。これは1996年頃であり、その後同じ特別経済地域(KEK)が制度化されたがその時も先に名前があった。中にはもう観光地化された土地バンテン州もありブログにしたが、外島を挙げると
2012年政令第29号  セイマンケイ経済特区(北スマトラ州)
2014年政令第31号  パル経済特区(中部スラウェシ州)
2014年政令第32号  ビトゥン経済特区(北スラウェシ州)
2014年政令第50号  モロタイ経済特区(北マルク州)
2014年政令第51号  タンジュンアピアピ経済特区(南スマトラ州)
2014年政令第52号  ロンボック・マンダリカ経済特区(西ヌサトゥンガラ州)
2014年政令第85号  トランス・カリマンタン・マロイバトュタ経済特区
2016年政令第6号  タンジュンクラヤン経済特区(バンカブリトゥン州)
2016年政令第31号  ソロン(西パプア)
がある。なんと同じものはビトンだけのようで不思議の感じを受ける。つい先日のニュースでこの内「中スラ州とロンボクの経済特区が月末稼働へと動き出す話で又なぁんだと驚いた。しかし実際投資計画を持ち込んだ外国企業もある話で、それが又なぁんと韓国の発電所であの騒動のパル市で投資額も6兆ルピア(600億円弱)というから先見の明にも驚きであった。KAPETの時代は投資認可簡素化は当然ながら租税・関税の軽減・不徴収の租税便宜が中心であったがKEKは出入国管理、土地問題などもあるそうだ。インドネシアのKEKにするかミャンマー・カンボジヤにするか思案のしどころだ。
写真はパルのホテル JTBのサイトから借用した。 辺境地はリゾートでもある(なりうる)。

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2017年7月24日 (月)

TosariからBromoへ

先日の「蘭領時代の日本人が撮影して作った絵葉書のコレクション」を読み進んでいた時スラバヤの次にTosariと言う地名にぶつかった。この地名はジャカルタ市内のど真ん中にもあり、不思議だったので2年前に「Tosariの言われとホテル群」でブログした。その時もこのTosariはあのブロモ山登山の入り口であることは解ったのであるが、

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今この本には1930年前後の佐竹氏作成絵葉書があり、その構図は以前知り合いのS女史からもらった写真と同じ構図であることに気が付いた。
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そしてS女史もそうだが佐竹氏も良くも2,329メートルのブロモ山を見下ろす写真が撮れたものだと感心したが写真に添えてあった地名Penandjaan(綴り間違いで正しくはPenanjakan)を調べるうちに、それはブロモを囲む外輪山の一つでこちらが2,770メートルで、こちらがブロモの朝日を見るViewpointであることが解った。Pointそのものは沢山あるので角度は少し違うことはあるが、当時は多分Pasuruanから上ってきてきこTosari(郡?)に来たようだが 小生がカメラも持たず登った時はProbolinggoから上ってブロモに一番近い拠点Cemoro Lawangに泊まり朝方ロバにのり急坂を下りて砂の海を渡りブロモに登っての旭日参拝であったが、それよりもここPenanjakanで拝んだ方がいいようだ。
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S女史はその後ブロモ山に回ったのであろう。現在はJeepがレンタ出来、どこなりと簡単にいけるようだ。


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2017年7月18日 (火)

災害に思う

世界寄附金ランキングというものがある。たまたまいくつか覗いていたら日本は114位と最下位グループにあり、この数字は90位から104位、114位と下がっているようだ トップはアメリカと競い勝ちの、なんとミャンマーであり、インドネシアも第7位である。日本には一般寄附金や政治献金から教育文化福祉の寄付金や特定寄付金と範囲が広く所得控除もあれば税額控除迄あるのだがインドネシアにはザカートの所得控除オンリーのなかである。
ザカートは金で言えば88グラム以上の資産を保有しておればその2.5%の寄付の義務があるが、生活に必要な住宅や、自動車、事務機器などは除かれる。だからインドネシアが上位になるわけでなく多くの富豪がPhilanthoropyに励んでいるからだろう。 日本が低いのは百説あろうが自分に聞くのが一番だ。

話は災害寄附金から防災の話に飛ぶがtwitterについ、以下物申した。
災害報道に提案 :ヘリやドローンを駆使してくまなく状況を流す。 各社同じ場所に集中取材、罹災者のスマホが頼りではいけない
国土を守る国土省に提案 :海に堤防、山にも津波防壁が必要だ 山と海は凸凹ではないのか

環境省も防衛相も問題ありそうだ じっくり観察すれば対策のアイデアは沸くはずだ


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2017年7月 4日 (火)

ジャカルタ仏教寺院の代表

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先日のJP誌が紹介したヒンドゥ寺院に続いて仏教関連では金徳院がクレンテンとして挙げられた他Kuil Hoseijiがあった。この名前は初めて聞く名前であったがそれもそのはず日本のNichiren Shoshuと出ていた。このJP誌は仏教代表として挙げたのではなく、宗教間の寛容を示しているのであろうか。場所はJl. Padang No. 27, RT 05/08, Pasar Manggisとあるがラスナサイドアパートの裏側の込み入った場所で昔一回くらいは通っているがこのKuilはその後の2005年建てられたものである。
Kuil_hoseiji
外観はGoogleで見ると寺院の雰囲気はないのでJPから内部の写真も借用しよう。(やっぱりやめた)

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)は漢字も解らずネットで調べると日蓮宗ではなく今は仲たがいしているらしいが創価学会の出た所であったり、釈迦は日蓮の弟子だとかとんでもないことがヤフー知恵袋には書かれている。ここまでブログを書いてしまったので、仕方なくgoogleから借用写真で閉めておこう。
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この5月の仏陀生誕日ではジャカルタの報道ではgrogolのタマンアングレクの裏側辺りのVihara Ekayanaがお祝いの場所になっていたが、そこは勿論Viharaもあろうが仏教の教育や訓練を行うBuddhis Centerなのである。

創価学会と言えばクマヨランにジャカルタの本部が昔あってブログにもしたが、その後どうなったかはこれもこれと言うニュースも聞かない

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2017年6月28日 (水)

ジャカルタのヒンズー寺院のpura2


レバランと言うわけでもないが最近の宗教間の不寛容の出来事がおおく、各宗教の教会の記事も目にする。JP誌では5つの宗教でイステクラル、カセドラル、イマニュエル、ラーマングン、ホウセイジを挙げていたが、この仏教のホウセイジだけ初耳で素人でも仏教は金徳院以下多くあり、モスクも教会もまた多くブログで紹介している。
Pura_abnityajaya
ヒンズーはラーマングンにあるPura Adyya Jayaは「http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_1362.html」としてブログしたがあとなかなか思いだせない。
そこでネットで探してみるとジャカナビの「多様な宗教が共存する街ジャカルタ#2」で珍しくヒンズーが三つも紹介されていたので、それを引用すると
Pura Chandra Prabha: Jelambar, Grogol petamburan
Pura Penataran Agung: Taman Sari Halim Perdana Kusumah, Jakarta Timur
Pura Amerta Jati: Pangkalan Jati, Cinere, Kota Depok
である。ジャカナビの筆者は「ヒンドゥー寺院最大の年間行事である創設記念祭・オダランでは。。。(神聖な一番奥の境内は本来他宗教にはゆるされないがここではきちんと正装しておればおおらかだし何よりバリそのものの空間に心打たれた)」と言う風な表現である。
いずれ行くこともあろうとマイアルバムで他を探すと、北のプルイットに仏寺と共存していた「Candi Shiva Mandir北のヒンドゥー」と言うのをこれも既に昔ブログにしていた。更にマルンダにもあった記憶がある。
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少し小さいがちゃんとしたPuraなら、タナアバンのプラサスティ墓碑公園にいく道にPura Agungというのがある。

Taman_mini_mperangko
少し違うがタマン・ミニの切手博物館の入口にはどんとそびえ立つ割れ門がある。宗教を離れて海のバリを味わうならアンチョールの奥のJimbaranレストランがいいだろう。最後の二つもブログにしていた。

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2017年6月16日 (金)

東部ジャワの思い出 ブロモからトロウーラン

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歴史ある郵便局を改装したHermitage Hotelを探したとき見つけたのが東ジャワ州のジャカルタ事務所である。ホテルの横の道Jl. SumarangがT字路のPasuruanに出たところにある。小生が摂った写真は民家の豪邸風であったが、
Gedungjatim
Googelで確認してみると出てきたビルの風景は近くのMetropole 21のように見えたがよく観察するとこれはスラバヤの本庁の写真であった。
小生にとって東ジャワとはスラバヤとその近辺であるが何度も既にブログにしている。 まだ触れてないところはTrowulanである。
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マジャパヒット王朝の都であるが、この広い地域のあちこちに壮大な遺跡が散らばって存在している。記憶にあるのは多分ミュージアムであったのだろうか 戸外の吹き抜けの展示場にいろんなものがあった記憶だけである。
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Googleの地図で見るとCandiなど遺跡がマッピングしている。更に拡大すると他の名前も浮き出てくるが中心部の全体を写す大きさはこれが限界である。
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ここにはブロモ火山の山頂での旭日を仰いだ後廻って来たのであるが途中のどこを通ったのかも思いだせない。明け近くいまだ暗黒の中刻々変わる大宇宙の神秘に身体が持って行かれそうな感覚に陥った事を思いだす。その当時カメラも持ってなかったのか悔やまれるが断捨離でひょっとして出てくるかもしれないといつもそこで終わっている。Bromoの写真は知り合いのS女史からもらったもの。トゥロウーランはGoogleから借用である。


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2017年6月 1日 (木)

ワヒディン裏通り散策


財務省辺りをめぐっていた時、思いだして旧財務省 Gedung Maramisの裏にある道を通ってみた。新財務省のGedung Juandaの入り口の前の道Wahidin Raya通りがグヌング・サハリ通りに出る20メートル前と数メートル前で左に曲がる道が突き当りのブディウトモ通りに出る迄の道でここは手前がWahidin 2で数メートルの方がWahidin1通りである。
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記憶にあったのはこの数メートルの幅の間にオランダ時代の小さな住居用建物があったのであるが行った時には消えていた。
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代わりにこの道の最後の部分にTaman Wahidinと言う縦型の公園があった。Wahidinの像が二つ立って伝記を40字程度で紹介していた。刈り込んだ樹木からの木漏れ陽が心地よさそうだが、この道は最初から最後まで軍の施設がずらりとつながっているので行動には気をつけなければならない。
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どちらかと言えばGest House やMessであるが陸軍参謀本部財務局Mabes AD、第2師団Kodam II SriwijayaやKODAM IVデポネゴロ師団とそうそうたるものである。亡くなったと思ったオランダの建物は後で見るとWahidin 2の方にあったが、こちらは狭い道の両サイドに屋台風食堂が並ぶ道でその隙間から今にも倒れそうで見えた。小生の10数年前の写真でもこの通りである。この建物はDu Busの名前がついているがこの名前はデ・ビュス・デ・ヒシニース総督の名前であるが総督との関係は解らない。小生のブログでは既に建物の紹介は「こんなところにもオランダの建物」でそして「Wahidinとブディ・ウトモ」でSTOVIAのワヒディンを紹介している。

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2017年5月31日 (水)

Sunan Kaljodoの称号


インドネシアのNetizenがちょっと、小生には小さな衝撃の3~4連発だった記事を載せていた。記事の内容は小生がいつかブログにも書いたカリジョドに絡まる話で、それまでアジアNo.1の赤線地帯であった地帯が今は広くて大きな緑地児童公園になっている。これはアホック知事がやって来た一連の都市クリーン作戦の一環でもあったが、➀ 協力でもしてきた(?)NUの青年組織GPアンソールがアホックになずけた特別な称号は 聖人ワリソンゴの“Sunan Kalijodo”と言うものであった。
Kalijodo_ahok
この悪徳高い地帯を一掃したこの公園はRuang Publik Terpadu Ramah Anak (RPTRA児童に優しい集中施設) で Ruang Terbuka Hijau (RTH 緑地公園)にしたことで② かかったお金は200億であるが、これにはアホックが大企業シナールマスにCSRを働きかけた結果で、なぜシナールマスになったのかは二人をつなぐ人がいたとかでもあるが、公園にはシナールマスの名前の看板が出ており、シナールマスに取って何か得することもあろうかと断定している。⓷住民などを追い出し得たのも不良青年との契約資金によるもので、そこの屋台などのPSKの生活も面倒を見たのはその地に飛び込んだ或る人がいたからと言い、➃ アホックは一粒の汗も金も出してないので称号は間違いであると締めていた。Netizenはなんでも批判するネットかな どこまで本当なのか 写真は借りてみたが。。。。

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2017年5月25日 (木)

Kemen. Agama宗教省はどこ

ジャカルタ1のメインストリートのタムリンでもいつの間にか知らないビルが建っている事がある。


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この建築の特徴からよく目に付いていたのであるがこのビルに右端を突っ込んだような2階建ての建物があり、こちらの壁に宗教省の名前がついていたのでこちらのビルもそうだろうと、一つの内部の総局の住所を調べるとThamrin No.6の14-15階と出ていたのでこのビルも宗教省の建物であることが解った。ザーカート喜捨やハジ関連でお金はあることは知られているが、これはちゃんと予算から出ているらしい。
所が本部はラパンガン・バンテンにあるし、これだけ大きなビルで何をしているのか不思議である。 政教分離の日本人には宗教省など不思議に思う存在であるが、イスラム・マジョリティのインドネシアでは結婚や巡礼、祝日管理で公平に支援し不関与の関与をしてそれなりに意味があるのであろう。
日本外務省の紹介記事では2013年現在の宗教の分布は・イスラム 87.18%、プロテスタント 6.96%、カトリック 2.91%、ヒンドゥー 1.69%、仏教 0.72%、儒教0.05%、その他 0.13%となっており、5大宗教のみが認められていると言われるが確か儒教(Konfusianisme)も道教(Taoisme)も認められているはずだし、地方にその権限があるようだ。
但し宗教省の組織ではBIMAS(Bimbingan Masyarakat)と言う総局がそれぞれの5大宗教ごとにあるが、イスラムが6階(~9階?)、Kristenが10-11階、Katorik 12-13階?、Hinduが14-15階だがBuddhaはサイトも工事中で不明、そのたPHU総局(Haji& Umrah)や官房等もある。儒教等は総局も個別サイトもない。
この建物は2010年頃建てられたものであるがそれまでここに何があったか記憶にない。左の2階建ての建物が半分残す形で右も占めていたのであろうか。


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ラパンガンバンテンの宗教省本部は今はどうなっているか、サイトではHumasがまだいるようだ。マイアルバムを探るとここではいつもボロブドールホテルの撮影に気が向いて撮ったものが皆無であるがGoogleではちゃんとある。今日の結論は宗教は解らないということであった。一神教であることが必要であったが、ヒンズーはその為Sang Hyang Widhiなる神を登場させた。無神教の我々でも天地創造の大神は信じている。

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