2016年10月14日 (金)

kemang 洪水対策

ジャカルタは今年はLa Niñaのせいで8月と9月に特にKemang地区が洪水にやられたらしい。
昨日のJP誌ではクバヨランのKrukut川添いの住宅が取り壊された様子が報道されていた。

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ここは昔、鳥元と言う居酒屋レストランがあった裏側でPetagagan地区と言う名前であるが南ジャカルタ区庁舎の裏にもあたるがこの上流がKemangであり、多分さらに上流のParadise Eksekutif住宅などもやられたのではないか。何せこの地区は道路から見て相当低地になっており、住宅が川岸に迫っている。これらの河の堤防には人が歩ける道はなくびっしり住宅が迫っているので、これを取り壊し川幅を広げる予定だという。川幅は20メートルはほしい所であるが3メートルしかなく、広げるために550の家の移転が必要らしい。この河はさらに下流に行くと良く洪水となるTornojaya/TendeanやBenhilを通って西洪水運河につながる川である。
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webから借りたのどかな洪水風景

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2015年8月17日 (月)

独立記念日前日

今日は独立記念日 思い出してTVをつけるが又壊れている。丁度今頃は大統領が式典に入場してくる頃であるが号砲は聞こえない。11時に終わるとあちこちの部落でゲーム大会が始まるので後で見に行こう。昨日を町をうろついた時の写真でもアップしておこう。
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最初は独立宣言文読み上げのスカルノハッタの銅像が立つ独立宣言記念公園である。プガンサアン・チムール 56でスカルノの実家だった場所である。 
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そこから1km程度で独立宣言文起草館で前田精少将公邸であった場所であるが憲法などは日本軍が設けた準備委員会で出来ていたものである。
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そこからガンビールに周り式典が行われるムルデカ宮殿に回って見たらもう準備も最後の飾りを付けるだけという段階である。
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副大統領官邸は多くの警護兵が居たので遠慮して隣のシティホールを付けておこう。

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2013年11月10日 (日)

歌舞伎公演イン・ジャカルタ

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今日ジャカルタで歌舞伎の公演をやっている事を始めて知った。歌舞伎と言っても伝統歌舞伎ではなくSawamura Kuniyaさんの歌舞伎とバリのSaraswatiグループのバリの踊りとのコラボレーション舞台で日本文化センターが後援している。Fujima Kanjuroさんが演出する“Mau: J-ASEAN Dance Collaboration”の一環で
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ジャカルタではTIMの劇場でやっていると紹介したがあと1時間で開演だから殆ど間に合わないだろう。こちらかもしれない。
一方Facebookでも蓮田 愛さんと言う人からの青山郁彦流 殺陣ワークショップの紹介が来ていた。最初は何か関連があるかと思っていたが別々のもので後者は日本で行われているもので読者には直ぐトレースが出来るだろう。

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2013年2月22日 (金)

XPERIAの広告塔はいずこに

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ジャカルタは広告塔が乱立している。ジョコウイの又新しい政策はこの広告塔の削減である。いつ頃からか急に巨大な広告塔がにょきにょきと出て来たがどのくらいあるだろうか、全市には広告の場所を供する屋外メディア会社が500会社が有ると言うから相当なものである。今後新しい広告塔のライセンスの発給を取りやめ、既存の物は契約をリーガライズし期限が来れば倒壊する事になるが今後はこれを市が提供するものに限定していくと言うもので、市では全てをLED化して無料で提供すると言う。これもどう予算を付けているものやら無料と言うのが画期的であり不思議である。市ではフイルムさえ作れば良いという。 市が提供するものだけですべて受けてくれるのかと不審に思うが多分TVのコマーシャルのように放映することになると時間制限が出来ることになるので、ある程度は可能であろう。そうなるとゴールデンタイムの話も出て、とやはり有料と切り離せないと思うのであるが。。
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この間ソニーのXPERIAのLED広告を見て拍手を送った。ガトットスブロトであったがこの他にシシンガマンガラジャにもあった。そうして宣伝をして上げているが、実はこいつの使用には手こずっているのである。一つはジャカルタで購入契約しているのを日本に持って帰る2ケ月に1ケ月はコネクト出来てないのである。何処に行ったらソニーさんは手をさしのべてくれるのであろうか。或いは本体写真の保存はカテゴリー化もできない。機器購入時の取り説は無かったのである。

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2012年7月 2日 (月)

9割はインドネシア人の縁日祭

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ブロックMで行われる日本の夏祭りは正式にはブロックMリトル東京縁日祭というが今年は3回目であった。小生は一度もタイミングが合わなかったが、今年は6月30日、と7月1日だったので6月30日到着の小生は滑りこみセーフであった。夜食事も兼ね出掛けてみたが歩けないほどの人出でその9割り以上はインドネシア人であった。昨年の様子は祭り事務局の頁にあるが日本の夜店よりインドネシア人のテント屋台も多く参加している。同席のW氏は食事中にもおみこし担ぎに出掛けたり、ま彼はMの住民みたいな人だから幹事の一人としてもおかしくない。3年前はブロックMの寂れがひどくなっていたが今年はインドネシア経済の活況もあり、盛り返してきている。活況を願った幹事の夢も達成された事に御同慶の至りである。

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2012年1月12日 (木)

ジャカルタの暴風雨被害

ジャカルタに着く1日前の木曜日午後2時、ジャカルタは暴風雨に襲われ全市に渡り相当な被害にあった。暴風雨はたった1時間荒れただけであったが街路樹だけでも105本が倒れ大きなビルボードも倒壊、切断された電線に感電した男が一人亡くなった。市の災害対策庁(BPBD)はクレーン車は3台しかなく従事する人間も100人程度だと嘆いていたが、日曜日に動いた範囲では相当かたずいていた。
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むしろ自分のアパートの方がビルボードが倒れコンクリート塀を倒し、今修復していたり、昨日上から見たら隣のバナナ畑が全滅しているのを見かけた。拡大するとよくわかるが、バラックの家の方は被害がないのが不思議と言えば不思議である。気象庁(BMKG)は先に2月中旬まではこのような暴風雨(Badai)を予報していたらしい。

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2011年4月17日 (日)

Cari kerja ジャカルタ求人サイト

ジャカルタにもリクルートのRECRUITが乗り込んできた。従来の会社に加えTemps Staff等大手が出てきたが、その中でJobStreet並みでやっているのが求人・求職サイト Cari Kerjaである。情報のみを提供して自由に交渉できる利便性がある。今求人で求められるのはインドネシア語が必須ではあるがさらに会計・税務に経験のある現地在住の夫人である。 家庭生活と両立させ、フリーランス型、パートナー型でも可能で不確かな現地生活に自立の喜びを与えてくれる。 情報はk2433@ae.auone-ne.jpが早い。


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2010年9月14日 (火)

ガルーダ、ジャカルタ直行便

8月31日からガルーダにジャカルタ直行便が出来た。外向きには9月1日でありコードはGA885である。 JALの場合は成田発のジャカルタ行きは725便、帰りは726便であるが
GAはジャカルタが母港故まずJakartaから飛び出すのでそのコードはGA884便となりこれが,前日の8月31日に飛び出すわけで、日本からは9月1日が最初の便となる訳だ。
日本からの出発時間は12:00 ジャカルタ着は17:45、ジャカルタ発は23:30、成田着は9:00AMで日本人にとってベストのスケジュールである。 飛行機はその間が補修確認の時間に充てられているので飛行機自体は休める時間なく酷使される。予備機と言うのは全体の数パーセントらしい。この便も機内入国審査され、紳士的であるので助かる。今回はエコノミーから無料グレードアップに当選したのでガルダ・エクゼキュティブの懐石料理にもありつけた。
更に驚いたことに、サービスのジュースはジャカルタでも流行りだしたと思われるタマリロとパッションフルーツのジュースで、この年で未だ生まれて初めてというものをガルーダから教わるとは思わなかった。

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2010年7月 3日 (土)

ジャカルタのブック・フェアー

ファウジ・ボウォ市長のWebを見ていたらジャカルタでブック・フェアーをやっている事が判った。写真の中のスパンヅック・垂れ幕から
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場所はスナヤン競技場の横のイストラ・スナヤンで7月11までやっている。昨日がオープニングセレモニーでボウォ市長がオープニングの挨拶をしている所がニュースなのである。今年で20回目でMetroTVとRepublikaが後援している。 少しはインドネシアの出版界も進んできたので何か発見できる事があるかも知れない。日本からジャカルタの行事を案内するものおかしいが、来週行けたらまた案内する事にしよう。

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2008年12月25日 (木)

ジャカルタ地下鉄に日本借款

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経済担当調整大臣の役員の話としてジャカルタノ通勤鉄道の建設資金として日本より1,420億円の借款の予定が報道されていた。建設は2010年にスタートして2014年完成の予定である。延長14.3kmで中央ビジネス街と南ジャカルタを繋ぐというので地下鉄(ジャカルタMRT事業)のことであろう。一方別の役人は来年政府は経済梃入れのため100兆ルピアをインフラ建設に投ずるという話も同じ報道の中にあったがそれ以外の詳細はない。
MRTについては2006年にもJBICが借款を与えたがそれは設計サービスに対するもので、今回ので、愈愈鍬入れが始まるというのであろうかそれにしても2010とは。いつか撮った写真は多分ブカシ線であろう。ブカシ線はその先はバンドン、スラバヤに行くので重要な路線である。この線にも複々線化とマンガライ駅の高架化事業で円借款が付いているはずであるが。。

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