2017年12月11日 (月)

今週のマイ お気に入り One Day at a Time

何だったか忘れたがインドネシアのミス・インターナショナルから行きついたのがメリアム・ベリーナ(Meriam Bellina)であったのがこの歌との出会いだろうか、 

https://www.youtube.com/watch?v=llqNL_hBwKcこの年齢になって今頃自分にとっては初めての曲でそして気に入った歌がカントリーの古い歌であったのは何かの縁である。曲は“One day at a Time”と言うものでそう簡単にであえるものではないようだ。
彼女の歌は数多くあり(挙げて見る:Simfoni Rindu、Jangan Pernah kau Ragukan、Mulanya Biasa Saja、Jangan salahkan siapa、Seandainya masih mungkin) その中でKerinduan や Untuk Sebua Namaが更にお気に入りであった。
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お気に入りというかその🎤の画像に圧倒されていたのである。しかしまたそれを探すとなるとその画像は見つけることはできなかったというように愛不得苦である。彼女はクリスチアンのようでRohaniのアルバムもある所からこの歌を歌っていたのであろうか。

意味はよくわからないが “今日のこの一日”(1度には1日しか来ない)とでもいうのであろうか 米国に住んだこともない小生には解説は難しい。この歌の正式にはOne day at a time, sweet Jesusというもので1番だけの歌詞を示すと
I'm only human, I'm just a woman(Man)
Help me believe in what I could be and all that I am
Show me the stairway I have to climb
Lord, for my sake teach me to take one day at a time

One day at a time, sweet Jesus
That's all I'm asking from You
Just give me the strength to do everyday
What I have to do

Yesterday's gone, sweet Jesus
And tomorrow may never be mine
Lord, help me today, show me the way
One day at a time

作詞作曲はMarijohn Wilkin and Kris Kristoffersonで 1974年リリースされ翌年ビルボードトップになり以来200以上のカバーがあるようだからいくつかを選ぶことも出来ない。何かアイルランドの香りがする。アイルランドでは90週もトップ30をキープしたからだ。
ゴスペルのMy Favouriteならジムリーブスであろう。
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2017年11月 2日 (木)

Hatimu Hatiku  Somewhere Between 

10月25日のブログ「Bobbie Owens Haggardの伝説」でSomewhere Between という曲も彼らは歌っていたと書いたが、それをここに再現して見よう。

https://www.youtube.com/watch?v=__QRZCaLJCg
まずは作曲したと思われるHaggardは1968年である。一緒に歌った人はだれかとコメント欄をさがすとBonnieと出ている。しかしBonnieは1967年に歌っているレコードがある。パートナーは女性であるのでソロに近いがバックはHaggardのバンドのようだから翌年の二人のDuetの前に彼女に歌ってもらったのかも知れない。そしてBuck OwensはSusan RayaとDuetで歌っている。 Hee-Hawとしか出てないので年代は70年前後1年の間である。
Boggus_haggard
その後多くのcoverがあるが1975年のTumbleweedと1989年のSuzy Boguss(写真はそのTV画像で相手はHaggard)がある。その他小生に取ってはまがいものの映画もあったようだが、侮れないのはインドネシアのカバーである。これはインドネシア人ならだれもが知っているHatimu Hatiku である。日本人も好きな言葉になっているのではないでしょうか 歌手も大物のTitiek Sandhora&Muchsin Alatasであった。本当を言うとDVDが出る前の方が小生は好きで画像は目障りながら歌うことが多い。出だしの歌詞だけでも記録しておこう。
Betapa sayangku engkaupun tahu、Sehingga kaupun begitu、Namun sayang adalah sesuatu、Antara engkau dan aku、Diantara hatimu hatiku、Terbentang dinding yang tinggi、Tak satu jua jendela disana
Agar ku memandangmu ついでに本曲の方は
Somewhere between your heart and mine
There's a window that I can't see through
There's a wall so high it reaches the sky
Somewhere between me and you …

追:まだ大物がいた。多分1973年頃と思われるが Dolly Pertonと Porter Wagonerである。(Nov.16)

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2017年10月25日 (水)

Bobbie Owens Haggardの伝説

Bonnie_haggard

伝説のMerle Haggardと呼ばれたので今少し伝説を掘り下げてみたいが、嘗ての妻Bobbieをステージに呼びあげて歌う二人のBetween the Two of Usを聞き知るほどにBonnieの方も伝説の女性ではないかと思った。まずはHaggardの伝記を中心に要点を記述すると、
HaggardはApril 6, 1937年生まれ、Bakersfieldで8歳の時父を亡くしている。14歳で万引きで留置されるも友達と脱出し、国中を周るも又留置され再度脱出を繰り返し、1951年故郷に戻った時また窃盗で少年院送り。更に逃走、高度監視施設送り後1年強で開放された。あと1回拘置事件もあるが、最初の脱走友達とLefty Frizzellのコンサートで歌わされ聴衆の喝采を受け音楽に進むことを決心する。ギターは12歳の頃兄から貰い独学を続け、逃走中は農場や、油田での労働や安酒場で働き時に演奏したりした。57年にローカルTVに出る機会もあったが再度逮捕事件を起こし今度は監獄である。監獄ではギャンブルなど明け暮れる中死刑囚との会話や逃走友達の刑罰で心を入れ替え奨学資金も得、また監獄内工場で勤務した。最後はジョニーキャッシュの監獄での新年の演奏を見て、これに参加するというインスピレーションを得、翌年1960年めでたく監獄生活を終える。
前後して彼の最初の結婚は1956年で4人の子供を得た後1964年離婚、子供2人(Marty & Noel. 尚MerleのYoungest sonはBen1991生まれ)は同じカントリー音楽の世界に入っている。出獄後兄の建設会社で働きながら音楽活動も始め62年に最初のレコードそして65年にリン・アンダーソンの母の作曲を得て最初のトップ10を出しているがその頃のバックシンガーにバックオーエンの元妻のBonnie Owensがいた。彼女はBuck Owensの誕生が1929年4月から半月遅れの同じ年生まれでアリゾナのクラブで歌ったりする女性で15歳で二人は知り合い1948年で結婚したが51年にはBakersfieldに移り別居のあと56年?に離婚していた。一時ヒットも飛ばし女性歌手として賞も得たがHaggardと知りあったあとはHaggardの"Sing Me Back Home" and "Branded Man."などのバックシンガーを務めていた。そういう中で彼女の献身さと美声にほだされ二人の共作Today I started loving you againや1965年共演の"Just Between the Two of Us."がBonnieの最大の歌となったその年にHaggardとBonnieは結婚する。これは1978年に離婚した後もHaggardnの最初の妻との子供の養育や3人目の妻との家庭でのお手伝いもいとわずHaggardの歌のツアーに同道し2000年代まで続いた。83年に3人目の妻と離婚したころ彼は荒れて酒とコカインの生活の中にあったが"That's The Way Love Goes."という歌では賞も得ている。 Bonieは2006年4月24日に病没するがそれは最初の夫の死亡からほんの1ケ月後で同じ76歳であった。
Haggardは1960年代から80年代が全盛時代で都合38曲のナンバー1ヒットを記録し多くの賞をえている。Haggardは上記の後1985年と1993年に結婚しており、結局死ぬまでに5回の結婚をしたことになる。又1995年に血管形成手術を受けたあと、2008年肺がんの除去手術も受け、死ぬ直前までツアーを続けたが、亡くなったのは2016年4月6日79歳の将に誕生日の日であった。(E&OE)
そういえば Somewhere betweenと言う歌も彼らは歌っていたのでこれはまたいつか。

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2017年10月23日 (月)

ベーカーズフイールドの歌声

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Youtubeからいつの間にか出て来た「Glen Campbell, Merle Haggard, Johnny Cash + friends (Live 1972)」というのに圧倒、見入ってしまった。友情出演なのか大物そろいの出演友人のヒット曲を一緒に歌いまくる趣向だがマールハガードの真似ぶりに本人も頑張りほめたたえるシーンにジーンと来た。ラインストーン・カウボーイのグレンキャンベルは当時TV司会者もやっていたのでMC兼で歌いまくったが、最初の出だしであの特徴ある歌いっぷりを見せるハガードに後ろから出てきた曲の本人はバックス・オーエンである。この二人の声の質や謳いっぷりは共通することがあり、まだ顔と名前も解らないので調べていくとこの二人はまさにナッシュビルに対するが如きカントリーの一派ベーカーズフイールド サウンドの頂点の二人であることを知った。二人の代表曲を小生なりに選ぶとベーカーズフイールドの師OwensはThe Street of bakersfield、Act Naturally (1963)、Love’s Gonna Live here
 伝説のMerle Haggard はToday I started loving you again、 Okie from Muskogee , Big City、Nobody's Darlin' but mine、Mama tried と言うところであろうか。ベイカーズフィールドとはナッシュビルからは3,500㎞西、ロスから180㎞北、に当たる静かな町でこの西海岸に住んでいたボブ・ウィルズが従来のホンキートンクから距離置いて出来たようでもある。バックオーエンが1980年代に沈んでいた頃出てきたのがDwight Yaukamで彼はオーエンスの自称弟子で彼とのDuetでオーエンスは立ち直った。彼らは声が高い軽快な歌である。
伝説のと言うのはHaggardの経歴で彼は20歳ごろ刑務所に入れられたことがあるが数度も脱獄したりしながらも立ち直り5年ほどで出所、カントリーに道に進んだのであるがそれは刑務所でジョニーキャッシュに影響を受けたからと言われる。オーエンスは1929年生まれで2006年には逝ったがハガードは昨年79歳で逝き、グレンキャンベルはついこの間、8月に81歳でなくなった。彼らが現役でヒットを飛ばしていたころ小生は小耳にはさむことはあっても気が付かないまま今頃tributeしている。

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2017年7月27日 (木)

今週のMy Favorite ゴスペルだったカンツリー

https://www.youtube.com/watch?v=WnBZN-FG4OM


スマホも一人でYoutubeで遊んでいるとスマホが寄り添ってくる。僕の好みを何時知ったのか、そういう曲をよく聞くことになりMy Favouriteになるが最初のきっかけは何だったのかは不明のままである。最近ではThe Old Rugged Crossでruggedと言う単語がピンとこず引っかかっていたこともある。今これ自身が語幹の形容詞でごつごつした頑丈なと言う意味で、荒野に立つ硬い粗削りの木の十字架を見て今世の名声を捨て共に居たいという歌のようだ。
1912年聖職者ブラッド・ペイズリーが作曲、その後数えきれない歌手に謳われてきている。(ほんの例でアンマレー、E.アーノルド、カーター、レイプライス、ジムリーブス、プレスリー、J.キャッシュ、G.ジョーンズ、R.リン。。。)筆休み話題でWhat a Friend we have in Jesusがあり、口ずさむと昔は誰でも知っている小学唱歌の“冬の星座”であった。これも古い(1865年ごろ)の讃美歌である。困難な中でも信頼するイエス様と謳うとスッキリする。I’ll fly away言葉通り、天の国の家まで飛びましょうという葬式などでよく歌われるが、ブルーグラス調で又1929年来多くの人が歌っている。上げるとすればAlison Kraus, Alan Jackson、Bince Gill、Jonny Cash。。
こうして上げていくと数限りなくあるが ファイルしている曲から出すとAmazing Graceであるが解説は不要としておこう。

追注:上で”冬の星座”と書いたがこれは誤りで”星の世界”であった。 8月8日のブログで再出させる。

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2017年2月18日 (土)

今週のMy Favorite Loretta Lynn

My Favorite、小生に取っては前回のTammy Wynettとは同期の桜である。ワイネットより10年年長であるが現在84歳で、82歳の時のコンサートもアップされ歌手生活はながく56歳で亡くなったTammyとはずっとダブっている。伝説のカントリー歌姫といわれヒットチャートの上位曲は無数であり88年殿堂入りしている。小生は彼女の曲で章節の区切りで半音上がる特徴曲が好きでそれらのヒット曲を挙げておくと
 Coal Miner Daughter
 Don’t Come Home a Drinkin
 You ain’t woman enough(66年トップ、作曲)
 Nashville 1969
 One’s on the Way
 You are looking at country
 First City
 To make a man, feel like a man
がある。ケンタッキーの炭鉱労働者の娘として生まれ兄弟は8人、その地の慣行から15歳で結婚し6人も子供をもうけている。彼女の代表歌はこのコールマイナーズ娘であろうか。兄弟や子供孫迄 カントリーシンガーとして活躍した人は10人ほども多い。知られた名前はCrystal Galeであろうか。娘の歌手Betty Sue Lynnは先立ったが他はまだ現役のようだ。親戚にミスアメリカもいるとか 皆美形である。
Conway TwettyとのduetはNo.1 Duoと言われた。それらの中で有名なのは
*After The Fire Is Gone
*Lousiana Woman, Mississippi Man
*15 Easy Loving
がある。上記列挙した歌だけでなく下の曲もすばらしい曲である。
Woman of the world
Blue Kentucky Girl
Harper Vally PTA
Jackson ain’t a very big town
Honky Tonk Girl
同期の桜と言っても時期だけが同じであるというだけで彼女らの全盛時代を知っているわけではない。無為に過ごした若い時代を思い出すだけである。ジャケットはドーリーパートン(1946~)と3人での‘Honky Tonk Angels’
Roretta_dolly_tammy


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2016年11月14日 (月)

Tammy Wynett タミーワイネット


トランプの当選には小生自身だけがそのように嫌悪していただけでなく世界全体がそうだったようで、米国でなく世界が投票したら別の結果になっていたのではないかと思われる。当選した以上軌道修正しながらも良い点を探していかねばなるまい。レベルは低いが、「トランプの女性蔑視の行動・発言に反発票を投じなかった米国女性」に驚いた後の分析があるが、その様な心情で思い出すのはTammy Wynetのヒット曲“Stand by Your Man”である。この曲がヒットしたのは1968年で、アメリカで女性人権運動が始まった頃で、男に従う女性を謳うこの曲には批判を生んだというので、男を立てる土壌もあったであろうがそれを持ち出すほどではないだろう。その論点はさておき、最近になってこのカントリーミュージックのトップシンガーに今更聞きほれていた自分があったことに結び付けておきたい。彼女は 小生より後からの生まれで55歳の1998年には自宅のカウチで亡くなったそうであるが、貧しい家庭に育ち5回の離婚を重ね、56回の手術を受けながらもまだステージのスケジュールがあった中の最後だったようである。88年の「投資失敗の破産のせいだろうか 死後も悲惨な話が続くがやめておく。
Webには「カントリー界で最も名の知れた歌手の1人で、レコードの最大売上女性歌手として知られており・・」とあるが、世の常で新しい人や新しい波に抜かれていく。
比較されるのはPatzy Cline、Loretta Lyin、Dolly Parton、Reba Mc‘entireがあろうか。
My Favouriteに入れた曲は、最初のプロデビューとなった「Apartment No. 9」その後相次いで出した「My Elusive Dreams 」、「I Don't Wanna Play House 」、「Take Me to Your World」、「D-I-V-O-R-C-E'」、「Stand by Your Man」があり、その後は夫となったGeorge Jonesとの「Golden Ring」あるいはTil I Can Make It on My Own 、あとKLFのJustified & Ancientあろうか  少し数的には早世でもあり物足りない。

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2016年10月28日 (金)

ロイ・エイカフ カントリー王

カントリーの思い出を綴りあった本(確か東理夫編著だった)の中にKings of Country Musicと言うタイトルに出会ったが、それがRoy Acuffである。王ならばと、テネシーのカントリーミュージックの殿堂入りを調べるちゃんと入っている。この殿堂は1961年に開館され最初はハンク・ウイリアムなど亡くなっていた3人が飾られたが翌62年にエイカフは4人目であった。良く通る声の歌手であり、あるいはむしろプロモーターではなかっただろうか。彼は1903年生まれで89歳で1992年に亡くなっているが小生にすれば1992年などつい最近で、あのころはまだおられたのだと感慨する。 一番活躍した時代は1938年頃から1940年台でSmoky Mountain Boysと言うグループも作っていたFidlerでもある。関わり合いは別にして彼の名前で出てくる曲を羅列しておこう。
Great Speakled Bird(後のHonky Tonk Angel)
Lonesome Old River Blues
The Precious Jewel
Wreck on the High
Life's Railway to Heaven
Blue Eyes crying in the Rain
Oh my Clementain
Tennessee Walz
Wabash Cannonball
殿堂入りは既に130人とかで、小生にはもう追いつけない。

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