2017年4月28日 (金)

口あんぐりのGedung Rajiman

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インドネシアの国家英雄でもないのに、それも財務省内の建物に名前を残すなんてと驚いているのはRajimanさんだ。日本の当地ビジネス界で少し知られているRajimanさんでなくRadjiman Wedyodiningratさんだがningratとつくからインドネシアの貴族であり 正式な名前はDr. Kanjeng Raden Tumenggung (K.R.T.) Radjiman Wedyodiningrat (1879~1952)である。驚きはこの名前は財務大臣など財務省とも関係なくあまり記憶にないが、彼はブディウトモの創設者の一人であり、又独立準備委員会BPUPKIの委員長であった。
そして建物とは住友のSummitmasの並びのビルでこの間のWidjojo Center(現在名はSequis Tower)の横のPajak Sudirman(Sudirman No.56)である。
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ビルには何が入居するかであるがカンウィルと大口税務署や上場企業税務署など6税務署が入る。つまりここにはこのビルが建つ前は上場企業税務署があった所でいつの間にか高層ビルに建て替えられたものである。 立て替えの為取り壊された建物は1973年築のこのようにきれいな建物であったので惜しいことをしたものだ。

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小生は新しいのこのビルはSummitmasの隣のビルと混同していた。形状もよく似ているし名前もSudirman Tower(Sudirman No.60)と似ていたのだ。
それにしても前回はこの1月のGedung Marie Muhammadであったが今回はこのGedung Radjiman Wedyodiningratで3月31日の年度滑り込みである。財務省が推進する財務省内偉人などの名前をビル等のつけて顕彰するのには何かほかに意味があるのだろうが、外国(法)人に関係するお役所にこのように馴染みのない名前を付けられると外国人の来訪を拒否しているのではないかとさえ感じられる。道路の名前とでも思って受け入れるしかない。


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2017年4月27日 (木)

輝けるRadius大臣

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バンテン広場奥の旧ダーンデレス宮殿はEKUINの本部だった記憶は1990年代初めここのラデゥウス大臣をお偉方が訪問するときに付いて行った記憶があるからである。Dr. Radius Prawiroは1993年にEKUIN(経済・財務・工業担当)大臣を退任するまでスハルト政権を支えた大臣といえようか まず1965年会計検査院副総裁、1966年インドネシア中銀総裁、1973年商業大臣、1978年中小企業・組合大臣を兼任、83年財務大臣、そして88年経済調整大臣(現在の呼称)を間弾なく務め2005年ミュンヘンで76歳で病死している。彼もバークレイの一人かと思っていたが、彼はオランダ経済大学のあとに同じFEUIに帰ってきていただけであった。彼の財務大臣はAli Wardhanaの後を受けそしてSumarlinに後を継いだので前後をバークレイ組に挟まれていたのでバークレイ格である。
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彼の名前を冠した建物は新財務省側で噴水を前に最初に立った(?)建物で現在は財政均衡総局のビルとなっている。

小生の日本で住んでいる近所にRadieuseラディウスというコンドミがあるので見るたび思いだしていたが、此方は半径の意味でなくフランス語で輝くという意味らしい。モダニズムの建築家、ル・コルビュジエ(国立西洋美術館などが世界遺産となった)が提唱した理想都市の構想「輝く都市(La Ville Radieuse)からのようだ。
ラディウス大臣は IMFや世界銀行の役員迄その間に兼任しており、日本の大臣など詰めの垢でも味わってほしいものだ。

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2017年4月26日 (水)

BAPPENAS が Widjojoに

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一番新しい経済閣僚命名建物は昨年9月披露されたGedung Widjojo Nitisastroである。それも由緒あるオランダ時代の建物で、且つ永くスハルト時代の象徴役所であるBAPPENASの建物(Suropati公園前)で、小生には変える理由が解らない。少し財務省がおかしくなっているのかと勘繰りたくなる。 
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しかしスディルマン通りに昔からWidjojo Centerなる名前の建物があったがもう売られて、その名前を知る人はいなくなりつつあることも考えねばなるまい。彼Widjojo(1927~2012)は財務省本部の建物に名付けられたWardhanaの時に触れたバークレイ・マフイアのリーダー格で、他に仲間にはフランスセダ、エミールサリム、スマールリンなどがいる。
カリフォルニア大学バークレー校を卒業した彼らはインドネシア大学の経済学部FEUIを本拠にしていたがそこの恩師がスミトロ・ジョジョハディクスマである。そして彼はBAPPENAS(国家開発企画庁Badan Perencanaan Pembangunan Nasional 国家開発企画大臣府 PPNの機関)はスハルト発足時経済を任されたWidjojoが最初に指導した役所で彼は1967年から1973年まで長官であった。その後彼はその上の経済調整大臣(当時のEKUIN)を2期10年勤めているので財務大臣になることはなかったものである。この時代は年率650%もの物価が狂乱しインドネシア国民が一番貧困に苦しんだ時代である。
この建物はオランダ時代の1880年に建設され昔はVrijmetselaarslogeと呼ばれていた建物だそうだ。

(追)一番あたらしい:その後財務省の建物の命名はMarie Muhammdと Radjiman Wedyodiningratがあった。
両方ブログ済(4月28日)


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2017年4月24日 (月)

BAPEPAMの隣りのGedung Ali Wardhana

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BAPEPAM-LKがOJK(金融サービス監督庁)となった建物Gedung Sumitro Djojohadikusumoはこの間通ったときはこの名前は写真に写っておらずやはりOJKだけであった。OJKとは、アジア金融危機の後の時代から銀行の監督をいかにするかの問題があり、中銀が担当してきたが、片や資本市場管理庁はBAPEPAMが担当しており、BAPEPAMに財務省管轄のノンバンクや保険の監督機能を付したのがBAPEPAM-LKであった。これに中銀の銀行監督機能を移し金融サービス全体の監督を任せたのがOJKで世界的にもここまで集中した国は少ない、いまだ実験中だともいえようか この建物はバンテン広場の裏側のダーンデレス・コンプレックスのワヒディン通り、財務省本館コンプレックスに面してある。
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この建物の左隣が経済担当調整大臣府で建物の名前はGedung Ali Wardhanaである。これをAA. Maramis館としてこちらもBAPEPAMの物としている者があるがそれはまだ未確認である。ところで経済調整大臣府はメダン・ムルデカバラットの憲法裁判所の隣にもその名前を冠した建物がある。多分一部の機能がこちらでもやっているのだろうが、その建物の裏側には遠隔地開発大臣府の看板が出ているので共有である。

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現在はその名前はKemen.Desa,Pembangunan Daerah Tertinggal dan Transmigrasiと改称していると思う。その他そのビルにはEITI(採取産業透明性イニシアティブ)と言う聞きなれない役所もある。Extractive Industries Transparency Initiativeの省略であるが石油・ガス・鉱物資源等の開発に関わるいわゆる採取産業から資源産出国政府への資金の流れの透明性を高めることを通じて,腐敗や紛争を予防しもって成長と貧困削減に繋がる責任ある資源開発を促進するという多国間協力の枠組み。(日本外務省)とある。さてAli Wardhanaであるがスハルトがオルデバルを開いた1966年米国研究中のAli WardhanaやWidjojo Nitisastro達、インドネシアの経済エリートをここに集めEKUIN(経済・金融・工業)のかじ取りをしたところで後にバークレーマフイアと称されたが

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彼らは本館のダーンデレス館にいたので現在でもこちらも使っているのではないだろうか。但し正面には財務省の看板があり左端に経済調整大臣府の看板があった。


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2017年4月21日 (金)

Gedung Marie Muhammadに意味ありや?

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最近財務省の建物群にニックネームを付けるのが流行っている。その最初の発見が旧裁判所のPriyadiで、2回目がSumitroであったのでバンテン広場周辺だけだと思っていたのだがガトット・スブロト通り BKPM横の租税総局ビルにも名前が付いた。その名前は昔財務大臣であったMarie Muhammadである。少し前になるがそれは今年1月で首謀者はスリムルヤディ財務大臣である。
Mar'ie Muhammad.と言えばスハルトの降版前の絶好調の・第6期で大蔵大臣を務めており、表貌からもアラブ系(東ジャワ出身)である。小生の記憶ではルピアを使えとドル使用禁止を打ち出した最初の財務大臣である。租税総局とは大臣になる前に総局長を務めている 彼はMr.クリーンと言われた精錬潔癖で有名であったので現在の職員にも好影響を与えるかもしれないが、今や税の横暴は個人レベルの収賄というよりやくざ集団化しているところが問題である。 おかげで政府の建物は全部立派なものになっている。


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2017年4月19日 (水)

Gedung Sumitro Djojohadikusumo

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旧ダーデルス宮殿の財務省の左端が元裁判所であったが現在元財務大臣の名前をとってGedung Prijadi Praptosuhardjoというが、反対側のスネンに近い角には同じく財務大臣の名前を付けたGedung Sumitro Djojohadikusumoがある。これは昔資本市場を管理する資本市場管理庁BAPEPAM を母体としたBAPEPAM-LK(Lembaga Keuangan)の事務所棟である。後ろのLKが付いている通りEfek(株式)、Bursa(取引所)だけでなく、ノンバンクも管理するものである。2014年から中央銀行から銀行監督機能も移管し金融サービス庁(OJK)となっている。
Prof.Dr. Sumitro Djojohadikusumo (1917年~2001年)は独立後から財務畑で47年に インドネシア銀行総裁、そん後通産相、蔵相その他重要大臣をこなし子息はプラボウォ・スビアントとハシム・ジョジョハディクスモがいる。

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2017年4月11日 (火)

パレンバンの観光資源


パレンバンの観光資源ObjekWisataは21も有ると書いたが、それを先ず列挙してみよう。なんと30近くありそれが2泊必要だと思った理由である。殴り書きで間違い乞容赦であるが
1. Jembatan Ampera :1,177メーター、けん引式、日本の賠償
2. Kampung Kapitan:ネオン飾ったアンぺら橋を見る恋人スポット

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3. MuseumSultan Mahmud:かってのオランダ理事官官舎
4. Masjid Agung Sultan Mahmud Badaruddin :南スマトラ一
5. Bundaran Air Mancur 泉水

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6. Benteng Kuto Besak :Darussalam スルタンが遺した砦
7. Taman Purbakala Kerajaan Sriwijaya:スリウイジャヤ王国時代の遺蹟公園
8. Museum Negeri Balaputradewa,:スリウイジャヤ時代の遺物博物館
9. Gedung Kantor Walikota(市役所 オランダの水供給設備、夜間スポットライト)
10. Kembang Iwak :市役所近くの湖上ファミリパーク
11. MONPERA:人民勝利記念碑
12. Punti Kayu 林業公園
13. Rumah Mak Bani Montok (伝統住宅 1万円札裏のデザインRumah Limas)
14. Masjid Cheng Ho
15. Klenteng Soei Goeat Kiong:最古のお寺
16. Amanzi Water Boom ;巨大プール公園
17. JSC Jakabaring Sport Center:アセアンゲーム用 GBKに次ぐ最大
18. Pabrik Pupuk Pusri:尿素肥料工場西アジアナ製油所プラージュとゲロング
19. Bagus Kuning プルタミナ所有の動物自然公園
20. Pulau Kemaro(ムシ河のデルタ島・水上生活

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21. Klenteng Hok Tjing Rio(クマロ島の中国寺院)
22. Kuil Buddah(クマロ島の仏陀礼拝所 Imlekで賑やう)
23. Fantasy Island
24. Kampung Arabu
25. Kawah Tengkereng
26. Museum Tekstil:
27. Pusat Kerajinan Songket.:金糸の晴れ着など手芸センター
28. Kawah Tengkurep:パレンバンのDarussalamスルタン一族の墓所
まだまだ続く、市外に出るなら更に増える、写真はネットで借用したが多すぎて後でどこから借りたか分からなくなりました。


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2017年4月 9日 (日)

パレンバン旅行とムシ原油

土曜の朝思い立ってパレンバンに行きたいと思った。
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75年前大空に咲いた空の神兵に思いをはせることが出来る所だからだ。パレンバンが小生のブログに出たのは日本が建設したアンペラ大橋ぐらいであろうか 来年のアジア大会の開催地(ジャカルタと共催)にも触れたことがあるが、できれば油田地帯でも覗きたいと思ったのである。しかしWikipediaでは油田について触れられたない。

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間違いなければ油田は市の南70kmのPrabumulih,に在りここからパイプラインで市のムシ河の南側のPlajuとGerong精製、貯蔵タンク地帯に運ばれて精製活動しているようだ。
歴史的にも、オランダのNKPMやBPM、アメリカのStandardが関連してきた。最近ではイリーガルな野天掘り(?)のイリーガル採掘堀が106ケ所もあったり、火災を起こしたりと大変なようだ。
インドネシアの原油生産を一瞥すると最近の埋蔵量37億BBLで可採年数12年、2003年より国内需要が生産より多くなり輸入国である。現在国内9製油所で111万BPDであるがPlajuは13.5万BPDである。

2~3年前tiketは空港では買えなくなった報道があったので確かめると確かにそうだ。オンライン予約にしても料金を調べたりもしたい中うまく行かず、ままよ市内のガルーダ店に行こうと決めた。その前にどれだけ訪問すべきポイントがあるか調べるとさすがPalembangは人口1.7百万(2010)のインドネシア第5位くらいの大都市であり、21ケ所もある。
上記の資源関連、大昔のスリユージャヤ王国関連、オランダ植民地関連、中華寺院他華僑関連、ムシ河水上生活関連、アセアンゲーム他エンターテインメントなど纏めてもこの土曜これから立って1泊では無理そうだ。現地で様子を見て帰りのチケットを買えればいいのだがガルーダで聞いて見ようととりあえず出立。ところが市内のガルーダ・スデイルマン店は土曜日で休み、廻ったスナヤン店はモールの中で10時のモールオープンまで待たされる。この辺りから体調も自信無くなりあきらめざるを得なくなった。この間から、実際行くよりGoogle Mapでの旅行に味を〆ていたからあきらめも早かった。


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2017年4月 5日 (水)

ダナレクサ辺り

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ホテル・メルキュールの隣は国営投資信託銀行のDanareksaである。1976年創設の名前も立派であるが最近活動状況は不明である。現在投資信託を扱う機関はAgen Penjual Efek Reksa Dana(APERD)は大手銀行中心に21行あるが、その中にはDANAREKASAの名前はない。この分野は間口が広くインターネットへの情報提供が少なく一番Transparensyが不足している。こちらも樹木が茂りその上最近工事中の幕の中であったから猶更だ。
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昔、「ホテルサバン・メルキュール」と言うブログでこの建物はBAPEPAMと勘違いしていたがこの通りジャランサバンが交差する道クブンシリーをクブン・ジュルックと間違っていたことも気付いた。


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2017年4月 4日 (火)

ソ-ランウエイ Chaulan

度欲さんのジャワ点描紹介記事に日本人会館と日本人小学校はソーランウエにある。」と言うのがある。戦前のバタヴィアの日本人会と日本人学校の事でジャカルタの日本人会の重鎮であられた石居日出雄さんからの話で「現在の地名ではJl. KH Hasyim AshyhaiのKali Krukutにかかる橋の西詰めの南側です。」紹介記事には「ソーラン・ウエ」の「ソーラン」はChaulanと綴りますとも記載ありますが小生もこの名前は聞いたことがある。
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このMr.Chaulanさんはフランス人でこの一帯の地主で、その土地に立ったのが当時東洋一を誇ったホテル・デス・インデスでこれはフランス語読みだとデサーンと読まれていたそうだ。つまりこの一帯はハーモニー会館含めフレンチクオーターだったらしい。 又従軍日記の話になるが従軍記者はスラバヤから一人列車の旅でジャカルタに来てこのホテルに投宿したはいいがその日のうちにベチャを連れまわし夜の街を徘徊、その日はとうとう高いホテル代がフイになる豪遊であったがやはりあの当時の日本人はやることも図ばねけていたと妙な所で感心したことであった。写真と記事は関係ありません


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