2017年8月11日 (金)

森ビルの環状ブリッジとりそなの動静

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森ビルの都心でのオフイスビル建設がとうとうニュースになった。そこは昔、りそな銀行があり、地の利もいいし駐車場もゆったりし行けばスタッフが手に取って手伝ってくれる思い出の土地であった。その後なぜかりそなはそこを転出し他のガトットスブロト通りのビルに移転したのでなぜだろうと思っていた。移転先のビルは警護も厳しいし銀行もサービスが悪くなったので口座を閉鎖したものである。
その頃のブログでは15年1月 9日で 「メイン通りから去ったのか日本企業」として、りそなが出た後はきっと森が来てりそなも戻ってくると踏んだのである。

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その1年後、本当に森が出て来てスマンギで環状ブリッジが作る話になり、りそな跡地の森のプロジェクト推定は確度が上がったものであった。

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そしてこの8月からこのスマンギブリッジは使用できることになり、且つ昨日森ビルはりそな跡地にオフイスビルを作るプレスリリースがあったのである。
それによると2021年の完成を目指し、59階建て高さ266メートルのオフイスビルを建設する。施工は清水建設・Bangun Ciptaのジョイントオペレーションで、総事業費は500億円超の見通しという。 ちなみにブリッジはたったの30億である。(ジャカルタは安いなぁ)
オフイスタワーの高さではジャカルタではこの上があり、トップにはなれない。森ビルがやってくるのはりそな取り壊しを向かいのビルから眺めながら(2014年)思ってきたのだ。ビルの完成予想図は写りが悪いので別途コンテストに出してみることにした。

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2017年7月14日 (金)

快適か CipayungのTrivo大和ハウス

大和ハウスが日本の国交省バックのJOINとジャカルタ郊外で都市開発事業をやるニュースが今週初めにあった。大和ハウスが発表した内容はジャカルタ南東で「サウスイーストキャピタルプロジェクト(仮称)」の名前で集合住宅約5,000 戸と商業施設等12haの土の地に整備するため40億円の投資となるようで、現地パートナーはTRIVO社であった。
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これでは何の意味もないので調べて補足すると、場所は高原住宅地のチブブールの北のチパユン区ビナ・マルガ通りである。この名前はここにある大観光地の名前の陰であまり知られてないがこのチパユン区にはあのタマン・ミニと言う大公園があり、
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少し北東にルバン・ブアヤの聖パンチャシラ祈念公園、そしてインドネシア国軍の大本営とその運営になる
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チランカップゴルフ場があるのである。近くには芸術家村やWiladatikaレクレーション公園やチブブールの大公園などもある、緑深い地区である。
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大住宅地でもあるチブブールのおかげでLRTとか交通機関も計画され 既には鉄道ボゴール線や何よりも高速がCinere, Jagorawi, Lingkar Timurと3本も利用できることで最高の場所である。Cipayungの名前を付けCipayungのIconとなり有名にしてほしいものだ。と言うのもこのTrivo社は新進・中堅のデベロッパーで既にCililitan や Cikarangに住宅ブロックを開発しているからである。社長Mr Robert Yapariはまだ若く2004年にCililitanの古い?問題のある商業施設の活性化を担当し多くを学んだことから次がCikarangでターミナルから出発した商業ブロックを販売して、最近では Tangerang City(TanCity 10ha、Cikokol)と言う商業・住宅スーパーブロック(モール、ホテル...)を開発し成功している。
言い忘れたが近くにKISと言う学校があるので、こちらに住む人も多くなるだろう。仲良くしなければと思う。


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2017年7月 3日 (月)

オバマ エムテック デアスポラ

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オバマ元大統領がインドネシアを懐旧(?)旅行で訪れたらしい。小学校の夏休みなどによく行ったジョクジャでは住まわしてくれた家がミュージアム風になっており、そこを訪れたり、ジョコウイ大統領とはボゴール宮殿でのランチ会談を行い、その後住んでいたジャカルタ・メンテンに行きそしてEddy Kusnadiとも食事した話が分かった。エディ氏は7月1日に開かれる第4回ディアスポラ会議のスポンサーのエラン・マコタ・テクノロギー社(エムテック)オーナーであるが、学友だったのだろうか。オバマが1961年生まれ、エディが1963年生まれで差はあるがエディ氏は何しろ1978年に豪州サウスウエールズ大学でバチェラー、1980年にマスターを取っていることからありうる話だ。(ここでは同級位にとどめておこう)オバマ少年像はメンテンの小学校に立っているが2010年の建立時寄贈者名にはエディの名前はなくウノ副知事のお母さんやパロー氏の息子さんの名前はある。 住んでいた家はマトラマンのメンテン寄りであるがここに行った気配はない。エディ氏は1980年代にコンパック・コンピューターの総代理店 Elang Mahkota Technologi(EMTEK グループ tbk)を設立しており、成功後2005年頃SCTVの株を譲り受けマジョリティを取得、その後Indosiar TVも傘下に収め、今やインドネシアのビリオネアの一人である。Forbesでは2016円 18億ドルで18位である。
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所でデアスポラとはユダヤなどの離散民族をさすが、アフリカ諸民族も華人もデアスポラである。しかし今回のこの会議はインドネシアのデアスポラで海外に居るインドネシア同胞(8百万人)を指しテーマは“Bersinergi Bangun Negeri” or “Together We Build the Nation.”である。 
インドネシアは国民が前向きに取り組んでいる点、本当に感心する。日本には政府による棄民か日本脱出しか考えられてないような気がする。


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2017年5月26日 (金)

ワールド・トレード・センター 2

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ジャカルタ1のメインストリートであるスデルマン通りでも、いつの間にか立った建物は捨てるほどある。会社からほんの150メートルしか離れてないWTCにもある。
WTCがシナールマンスに名前をとられたがそのコンプレックスのすぐ後ろの元駐車場地にWorld Trade Center 2が出来ていたのである。

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おおもとのコンプレックスは奥にWTC 1の18階を真ん中に、両サイド少し前に出て17階のMetropolitan IとMetoropolitanIIが左右に構えていたもので、この名前の通りPT Metropolitan Kencana (Metropolitan Group)が持っていたものである。
現在MetropolitanグループはCentral Cipta Murdaya Group (CCM Group) 及び Hongkong Landが保有している。Metropolitan Groupは昔、ポンドックインダーなどを手掛けたCiputraなどのグループだが、CCMが金融危機後に買収したものでまたHongkong LandはHSBCのジャーディン・マセソンである。

2012年に完工したこのWTC 2は30階建てでPermata Bankが1-2階のバンキングホールと23階から30階に入居しているが、ホールと言うだけにStandardとかForticeもある、それを言うならWTC 1はHSBCが、そしてMetropolitan IIにはCommonwealthが入居しているほかこのコンプレックスの中にはMandiri、BCA、Niaga、Lippoなど銀行がずらりと入っている。小生が贔屓にしていた(何度か)Mercantile ClubやMetropolitan IIのPubも懐かしい。

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2017年3月 9日 (木)

ブラボゥオの事業

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2月14日に「ビダカラホテルで意欲」で噂したMenara Bidakaraは結局BIのヤヤサンが持っていることが判明したが今一つ自信がないのは、ブラボゥオで鎌を掛けたら、彼のグループの企業がここを本社にしていたことだけでなくグループ企業の紹介記事にBidakaraタワーIIの方の写真が出ていたからである。
まずはそのグループ企業を2~3挙げると
PT Kiani Kertas atau PT Kertas Nusantara (kertas dan bubur kertas)
PT Belantara Pusaka (kehutanan & perkebunan)
PT Tidar Kerinci Agung (kelapa sawit)
PT Nusantara Kaltim Coal (pertambangan)
PT Batubara Nusantara Coal (pertambangan)
PT Nusantara Berau Coal (pertambangan)
PT Jaladri Swadesi Nusantara (perikanan)
など17企業があり、彼自身はカザフスタンの油田会社のコミサリスでもある。こちらの方は多分弟のHashim Djojohadikusumoの伝手があったからでKianiと言う紙パ会社(Kertas Nusantara)もスハルトの義兄弟であったボブハッサンが持っていたものだ。彼はランキングには出ない富豪で総資産10億ドル(11兆ルピア)と言われる。これらのグループはNusantara Energy Groupと言い彼がヨルダンから戻って来た2001年にWidjono Hardjanto, Johan Teguh Sugiantoと設立、Hasym、 Bambang Atmadja, 及び Fadli Zon.も協力してきたもののようである。
Prabowo Subianto Djojohadikusumo は1951年生まれ、父のスミトロ博士は弟Subiantoが日本軍に抵抗し殺された事で子供にこの戦う精神を願いその名前を付けたという。輝かしい留学の後、コパススの道に進み1981年にはその司令官になると同時にスハルトの娘Siti Hediati Harijadiと結婚、後スハルト倒壊後の話は又にしよう。

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2017年2月14日 (火)

ビダカラ ホテルで意欲

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DKI市長選の最後のパネルディスカッションがホテル ビダカラで行われた。ガトットスブロトのディルガンタラの塔の先にある豪壮な建物群(手前のビルは化粧品のムスティカラトゥ)は昔探検に行ったことがあるが、コンクリートと大理石の重厚な壁に阻まれて成果はなかったが、

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今よく調べてみるとこのホテルは正面のビルではなく全体で4っつ位のビルの中で後ろの方にある。正面の大通りのガットットスブロトにあるのがMenara Bidakara1で、その横の道Rasamalaで左の奥に入って行くとMenara Bidakara2があり さらにBinasentra(medical Center?)を超えて右のDeposito 通りに入りその先にまた右に折れる道tabanas通りがありその角地を占めるところにBidakara Hotelがある。写真では二つのMenaraの奥に少し見える。 Menaraはオフイスビルであり或いはAssembly Hall BirawaやAuditorium Binakarna 更にリテールのA-Pointや展示場などが入っている。
これだけの設備を持って名前を隠して活動しているロープロフイルなグループとはどこだろうかと足掛け2日間探し廻った結果、それはBIのyayasanであることが解った。中銀役人の年金などが投入されているのであろうか このコンプレックスは1996年完工しており、174室の4-スターとしてPT. Mekar Prana Indahが保有している。

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ホテルの経営は現在Mochamad Soleh氏が前面に立ち運営しているが詳細不詳ながらバンドンのサボイホテルも買収しスラバヤを含めビダカラ色 を打ち出している。名称もジャカルタはHotel Bidakara Grand Pancoran Jakarta、
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バンドンはHotel Bidakara Grand Savoy Homman BandungそしてスラバヤはHotel Bidakara Fancy Tunjungan Surabayaと改称し今後もPadang, Bogor , Bali、またJakartaに増設計画がある。昔利用したサボイの写真はきれいだが借用したレストランの風景に記憶はない。


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2017年1月10日 (火)

Essence ダルマワンサ Buntu

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ジャカルタは南からブロックM方面に戻るときはアンタサリ通りを北上するがそのクマンヴィレッジ辺りで左折しダルマワンサに向かう道の左手に大きなコンドミ群と出会う。入口には守衛が立ち、自動的に右手に排除されるが正門にはEssence Apartmentと表示され30階建てのビルが2棟、すぐ後ろに同様2棟、左手に同様高層のホテルが2棟がある。このオーナーが不明で撮った写真の使いようがなかったが、かろうじてデベロッパーはPT Prakarsa Semesta Alamとは分かった。更に親会社はSALIGADING BERSAMAであり Harxxとか関係ありそうだがそれ以上はわからない。何故隠すのかよくわからない。
ただこの物件の開発思想はあのフランク・ロイド・ライトの哲学に学んだようで色々ファシリティも十分で環境も良い。そういえばアンタサリ通りの北はプラパンチャラヤでクマンに曲がる所から名前が変わるのかと思ったがプラパンチャラヤはそこで途切れず右に添っていく道になる。昔そこらあたりがジャカルタの開発南端だと思っていたのでみどりは多い。たしかPrapanca Buntu(行きどまりの意味)と言う地区名を覚えている。

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2016年12月31日 (土)

最後のスーパーブロック

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だいぶ昔にキャッチしていた建設計画であるが、ポドモログループの SOHO コンプレックスであるが掲げた写真でも今年の1月のもの故既に1年、ここでSOHOの看板を掲げている最中であるのでもう完成していると思う。

正式にはSOHO @ Podomoro City Complexであるが、S.パルマン通りで既に完成した同じAPLグループのCentral Park MallのあるPodomoro Cityと地続きの北である。

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つまりは全体でPodomoro Cityとなる。既に今のCentral ParkのあたりにSOGOデパート、プルマン・ホテル、ポドモロ大学などもあり完成の写真では中央から右側である。ここ2.3HaにCentral Park Mallのextension MallとしてNeo Soho Mallをeco skywalkでつなぎ 40階のオフイスタワーSOHO Capitalや多くのアパート群に囲まれているジャカルタ最大で最後のスーパーブロックである。年末・年始のブログを飾ることにしよう。

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2016年12月30日 (金)

奇抜すぎるPERURI 88

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このビルの計画もだいぶ前に発表されていたものであるがPERURI タワーとでも言おうか、このPERURIと言う名前はインドネシアの造幣局のことで、なんとなく関心があったのでブログ「造幣局Peruri の茅屋」にもしたことがある。その上ブロックMに行くときに見掛ける古い官舎の赤レンガ屋根の建物の行方にも関心があった。ここはファラテハン側が表でそちらの正門の方に造幣局のいかめしい古い建物があった。この計画書をよく見るとこの造幣局の建物は保存されることになっている。後先になったが現在の造幣局は既にカラワンに移っていて、壮大な施設を誇っている。やはり紙幣を印刷するのはだいぶ儲かるのであろう。ところでPERURI タワーはこの奇抜・斬新な設計が売り物で、オランダの設計グループMVRDVによるものでパートナーシップを作って完成していくもののようである。建築はWijaya Karya-Benhil Propertyとある。


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88階建てのVertical Cityと言うコンセプトである。下からショッピングモール、オフイス、住宅、ホテル、IMAX、結婚式場などを擁しているが空中エスカレーターがつなぐ施設や空中に張り出したテラスハウス、縦横な中庭Patioには多くの樹木が植えられた全体でグリーンエコを演出している。ただいつになるか、小生には無理だろう。
タワーの写真はSkyscraperより。


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2016年11月28日 (月)

教師の日のDon Bosco

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昨25日はPGRI教師の日、テレビを見ているとき LippoグループがDon Boscoを手放すという字句が出ていた。Don Boscoと言えば学校の名前にあるのでLippoが保有している学校経営を手放すのかと思ったがこのDon Boscoと言うのはLippoが経営するBerita SatuテレビやJakarta Globe誌などのRedaksiの会長の人の名前で正確にはDon Bosco Sulamunで編集局の長であった。彼はBeritaSatuの刷新・誕生から5年間Lippoグループに身を置き、ニュース討論などをリードした重鎮で今やBrita Satuをそれこそ第1のニュースソースTVとした実績がある。
Don Boscoの名前を冠した学校はジャカルタでもCilandakやPulo Masで見掛けるが25Don Boscoと言う名前は 19世紀イタリアの牧師で良心と友好の模範となる若人に奉仕するコングリゲーションを創設した聖Giovanni Melchiorre Boscoである。世界の教育界にこの名前の施設も多く多分文化・文芸の職人を目指すものであろう。


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