2018年11月12日 (月)

Ciputraの最大のTownship


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ジャカルタ郊外都市タウンシップは今更花盛りなどと言うよりもう古い歴史もあり、ジャカルタの片隅をちょっと間借りしていた日本人には気が付かなかっただけかもしれない。
単なるマンション建設だけでなく、病院建設、幼稚園から大学までの教育機関、モールを中心として商業施設やリクレーションと緑の広場などなどで益々大型、豪華、ゆとりの環境があちこちに出来ている。これらは住民サービスではあるが大きな事業の芽でありいわば病院も教育も専門外の仕事を不動産開発業者が果敢にやっていることに敬服することになる。
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5回目となるが今回は不動産の雄チプトラグループのCitra Rayaである。ここに或いはチプトラに近づいたのは3回目で一つはチブブール方面を特集した時、シナールマスの1,050ha 以上の物件を開発している気配と二つ目は10,000haもの土地供給に励んできたHanson International Tbkとの共同開発や今回はセルポンから初めて知るBalaraja前の高速を調べているときこの辺りに見た広大なCitra Rayaである。

チプトラ・グループは国内だけでも島外多数の44都市、100物件、国外も数ケ国に進出済んでおり、その物件名はCiputra/Citraの後ろにRaya、Indah, Land、Grand、Garden、Dream、World、Cityを組み合わせた名前が多いので後ろに場所名を記さねばどれがどれか分からない。


上記のBalarajaのCitra Rayaは正式にはCitraRaya Tangerangである。開発総面積は2,760haでこの中に既にWaterparkとかビジネス集積地BIZLINK Citraraya、テーマパークもあり病院も大学もモールもいくつもある。1994年から開発を始め51 Clusterに分け商業1,800店舗、住民65,000の人口に育っている。ここに住めばKeratonもTAKARAゴルフもマイコースとなる。そして4㎞Bitung寄りには日系のNikko Cahayaがあった。

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2018年11月 9日 (金)

カリブサールのジュンバタンメラー

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デルタマスの開発会社プラデルタ社(PT Puradelta Lestari Tbk)の登記上の本社アドレスはカリブサールと表示されていたので驚いたが、カリブサールと言えば昔、シナールマス銀行とBIIがバラットにあることをブログで報告したことがある。二つのシナールマスグループの銀行に挟まれた建物は香港上海銀行で、シナールマス銀行の隣が有名なトコ・メラーである。と言うことでシナールマスに大いに関係はするがこのジャカルタの保存史蹟にでも指定されている建物と不動産建設の雄のシナールマスとは隔たりがあり何か謂れがありそうだ。 ここにはプラデルタ社の兄弟会社のPT Paraga Artamidaもここを住所としている。シナルマスランドの財務報告では二人の兄弟がRp1,000の株式2.78億株の権利がある表示があったが、この会社は投資ホールディング会社で1989年設立、子会社数社を通じ都市デザインからインテリアデザイン迄の仕事をしているようで、というしっくりこない情報の他は情報はない。

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久しぶりにカリブサールに行ってみるとあのカリブサールが半分蓋をされた水辺公園化されたいることは以前にもブログしたが今回このシナールマス銀行の前辺りに橋がかけられジャカルタ歴史博物館の方に行けるようになっていた。橋の名前はジュンバタンメラーと名ずけられていた。
ジャカルタには既にその名前の橋はあったが、又使用するのに本家のスラバヤには許可を取ったのであろうか。


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2018年11月 5日 (月)

No.1 コタ・ジャバベカのDarmono氏

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Cikarang/Bekasiのジャバベカ工業団地はベカシ・カラワン地区では一番古い工業団地でそれまではプロガドンやマルンダの団地の他はスンターやタンゲラン、南ジャカルタなど小型或いは単純に集まった地区があちこちにあった。日系の第一次進出は繊維のバンドンも多かったので、チカンペック方面の高速はそれなりに早く開発され、また政府の誘導に乗ってかのようにこちらに工業団地が多くつくられるようになった。


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ジャバベカの創設者Setyono Djuandi Darmonoがこの地を眺めた時は荒涼たる風景でレンガ・屋根瓦BricKの為にあちこち掘り起こされ穴の開いた不毛の地が広がっていたが、彼はこれはチャンスに見えたに違いない。そして1989年ジャバベカ工業団地会社を設立しそして1994年には第1号の上場工業団地会社PT Jababeka Tbkとなったのである。工業団地としては最大の面積3,500haを保有し、火力発電所やドライポートも備えた団地となった。

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又ホテルも数軒、病院3院、ジャバベカ・ゴルフクラブもあり、商業地区や住宅地区も整備しながら全体面積5,600haのタウンシップに育っている。このシリーズでデルタマスに続く4番目に取り上げたが面積的には2番目とすべきであろうか。少し評価が低くなるのは高級住宅や別荘・観光に劣る印象があるからであろうか。多分に創業のDarminto氏の人生哲学に根差しているのであろう。氏は1949年オランダの第2次警察行動の頃ジョクジャカルタで生まれ、最終学業は現在のバンドンのUnbar大学であるが、英国のICIで仕事を始め、マンチェスター勤務を経てマーケット部門長まで11年も勤めている。ビンタロで住宅開発などもやりながら1989年Hadi Rahardja,、Sudwikatmono、Rizad Brasali やAdam Kurniawan等と konsorsium 21を形成しJababeka開発に進んだのである。夢は大きく着手は慎重であり、グスドゥル大統領を模範として霊と複数主義、寛容を重んじている。その他彼はジャワ文化の維持に努めBorobudur、Prambanan、 Ratu Bokoの後援やユネスコ活動、PATAの観光活動支援、更に現在Kota100 プロジェクトと立ち上げ全国に自立都市の建設には励んでいる。 Tanjung Lesungjakartan.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-58a1.html観光特区指定を受け更にKendalやモロタイが続いている。ジャバベカにはJababeka Multicultural Center やJababeka Botanic Gardensプログラムも進み、多くの海外活動や褒賞と相まって立派な都市になっていくのであろう。彼には许龙川という中国名もあった。

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2018年10月26日 (金)

TIM裏のアグンセダユのメンテンパーク

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タマン・イスマイル・マルズキの改修ニュースを伝えたJP誌の写真では昔何もなかったこの公園の裏辺りに高層ビルが建っていてギョッとした。 公園入口の横は昔はオランダ時代のプールが打ち捨てられていた後もう10年以上前にホテルが建ち今はIbis Hotelとなっているがこれは写真には見えない。このホテルを通り過ぎると左手に奥に行く道がある。確か昔は何もなかったと記憶するがこれを奥に入ると、チリウン河に行きつくまで3棟もに立っているのだ。そこはT 字になっておりチリウン河に添って歩道ともなる道路がきれいに整備されている。

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そのこと自体も2014年頃にはTIMの裏手から完成まじかを望見出来ていたものだ。

アパートは33m2~から2LDK主体で我が日本のマンションより立派だ。マンションよりもアパートに乗り換えたくなる。
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屋上プールもあればGimもある。ロビーは広く豪華だ。そういえばここはホテルとして利用されているのだ。2,500円見当でやすい。いつもRpの換算レート自体がおかしいのではないかと思う現象である。
デベロッパーは既にこのブログで語りつくしたアグン・セダユグループであるが9月28日のブログで物件名に記載漏れがあったようだから追記しておいた。
このアパートからはラーデンサレー通りも見下ろし出来るが、あそこも昔の良さが全てなくなり何故かアラビアの街になりつつある。

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2018年10月22日 (月)

デルタマスにパナホームや日本人学校も

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9月にパナソニックとシナールマスのスマートタウン開発事業のニュースが跳びかった感がしたが、この前触れは1年5ケ月も前にあったのをあまり気にしてなかったのだ。場所はデルタマスであるが、その開発会社プラデルタ・レスタリ(以下DMASと省略、昨日のブログ参照)の親会社シナールマスランド シンガポールの昨年の営業報告書にもちゃんと記載があったもので、そこにはDMASがパナホーム(Panahome Asia Pacific)とスマートタウン開発のJVの署名をしたと報告であった。

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J/Vの名前はPT PanaHome Deltamas Indonesiaでパナホームが51%、DMASが49%の比率で総面積37ha、2030年までに住民1万人の街(SAVASAスマートタウンと称する)を建設するもので9月のニュースはその販売ギャラリーも出来、第1期13ha、811戸(庭着き2階建て)の予約販売開始のニュースである。
スマートタウンと言うのは特に環境や安全などに配慮したことが目玉で太陽光発電や雨水活用システム、通風・換気システム、カメラや人感センサー防犯システムなどが設置されている。価格は10億ルピア前後か、一方DMASは価格4億程度の低価格住宅も同じデルタマス・ナラヤパークで販売している。


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ギャラリーはあのブカシ県庁・県議会サークルの前のサクラ・パークホテルに隣接している。この巨大なサークルの周りにベカシ県の行政地区として県庁・県議会以下郵便、警察、労働省事務所、宗教・裁判所まで多くの県舎が出来上がっていた。DMASが土地を提供して誘致したのかは不明ながらこれは便利である。教育はEdutownという地域を用意してバンドン工科Sains大学がある他、特に日本人学校がここに出来ることが殆ど確定している。又高速鉄道カラワン駅にも近く高速は37㎞と新たに41.6km地点に新GTが出来る。ここのジャカルタ寄りの隣のKota MandiriがリッポーのMeikartaである。これは先月ブログにした通り行政がなかなか許可が下りてないように見える。

最後の写真は2012年だから今はもっと進んでいると思う。


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2018年10月19日 (金)

タウンシップNo.3 のデルタマス

先のHansonグループの15,000haもの住宅地開発はこれからのものであり、過去に単独でブランドを持った開発物件はないので、これら大型住宅地のランキングはやはりBSD、Meikarta、そしてDelta Masになるのだろうか 但し、Jababekaは2,500とか5,000とか計測の問題もあるので後にまわすとして、又Cibuburも全体は大きいがここはシナールマスを含む大手Developerを合計すればの話である。
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そこでDeltamasであるがこれもシナールマスのものである。但し今はだれでも知っている通り日本の双日が主に工業団地開発の為参加し合弁の形をとっている。工業団地Greenland International Industrial Center(GIIC)は現在 1,300haで会社として全体の開発許可面積は3,000ha(実際は3,200ha見当か)である。この全体の名称がKota Deltamas とコタが付いているのでこれは住居と商業地域或いは医療・教育施設を含むものであるがジャカルタ都市部にもモールの上のハイライズビルと複合させ商業施設と住居+アルファーの小規模なものをコタとかCityを付けているのは多い。例えばKota KasabrancaとかThamrin Cityであるので、これら小規模のものと区分するためにはインドネシア語ではKota Mandiri(自立都市)とか英語ではTownshipを使用すればいいであろう。
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そこでこのタウンシップのKota Deltamasであるがこの開発主体の会社名はPT Puradelta Lestari Tbk である。この株主はSinar Mas Land(SML)が53%(株主名・比率は変更あり要留意)、日本の双日が25%である。ファミリーの個人所有もいくらかはあるのかも知れない。会社の会長はMuchtar Wijaja、社長はHONGKY JEFFRY NANTUNGで、副会長と副社長は当然に双日からである。
設立は1993年11月、そしてつい最近2015年5月に上場したばかりである。 商業施設は高速道路からの入り口ゲートウエー及びCivic Greenに用意され思い出すのはイオンが前から進出を計画していた。住宅は全体の22%を予定し 最近パナソニックのパナホームとの開発のニュースがある。

最初と最後の写真は2012年のもの、真ん中は同社の宣伝写真を借用した。

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2018年10月18日 (木)

元祖シナールマス

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元祖シナールマスと言うのは一寸おかしいがグループ創設の総師Eka Cipta Wijaya氏95歳の事である。
大きくなりすぎたシナールマスグループの事を何か触れるとするとその要は簡単にでも資料化しておく必要があるが、今まで多くのシナールマス登場のブログを書いたが総師については恐れ多くてできなかった。そこでWikipedia程度の受け売りとしてもいいではないかと、全体図の部分を掲げることにした。

氏は福建省生まれ(1923年~)で、中国名は黃亦聰(Oei Ek Tjhong)渡ったマカッサルで中学から商売を初めている。そして1970年にシナールマス社を設立し、大財閥に育て現在事業を紙パ、アグリ(食用油など)、金融・保険、不動産開発、通信、エネルギー・インフラの6部門に分けている。2018年のフォーブス富豪リストでは実質1位の139億ドルである。(世界でも100位見当、日本なら3位グループか) 氏は子だくさんで息子さんだけでも9人+娘8人、それぞれが部門や地域を担当しているが。何人か挙げれば長男トゥグー(紙パ)、次男ピーター(シンガポール)、3男フランキー(インドネシア・パーム・開発)、4男インドラ(金融)、5男フランクル・ジャワール(ホテル・オフイス)、6男ムクタール(BSD)、そして今や孫の時代にもなりつつある。PT Sinar Mas Multiartha Tbk(SMMA)は全体のホールディングではなく金融部門の統括会社であり、グループ全体の頂点の持ち株会社はグループの要として存在するのか不明で多くの国内外上場会社が重層的にある。
巨像のようなもので一挙には触れないので徐々に焦点は好みの不動産に迫りたい、その一歩である。


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2018年10月17日 (水)

Kota WisataとGrand Wisata

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Cibuburの中心地は高級住宅地のKota Wisataであり、先のブログでタイトルのつけようもなくいやになったと言うのは何を言ってるのか解り難いが、

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その前によく似た名前にGrand Wisataという高級住宅地もあり、この二つをシナールマス・ランドのホームペイジで見つけ、更に彼らの物件ギャラリーを見ながらその膨大さ、巨大さ、多岐広範さ、豪華さ、高級さ、花樹と陽光の温かさに驚いた後の感慨であった。


それは今更、この年齢で、この生活の中で関係を持とうとも何の手段もなく遥けき彼方に行ってしまったこのグループに対等に対応できる日本企業ももはやないのではないかとさすら思ったからである。Grand WisataはJAPEK高速道路のブカシの辺りに高速をまたぐ大きな陸橋とその看板があり、そこの専用の高速出口(Tambun)からGrand Wisataに行くことができる。

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そしてそこを長方形の右上とした図面を書くと左下の隅がKota Wisataなのである。従い両社は対角線上でつながる。
Grand Wisataは全面積 1,100haと大型で、2㎞南にアジア一とか言われるWater Park Go Wet ! がある。対するKota Wisataは単独では480haであるがその南の同じシナールマスのLegend Wisataを含めると1,050haとなる。コタの中には美しい公園や設備の数々もあろうが行くことも住むこともできない身には事業チャンスとしてのみの記述としよう。尚TODとしての高速とLRTの路線は共に近くにオープンを待っている。
入り口当たりの自分の写真は古いがアップした。下は位置マップ

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2018年10月15日 (月)

チブブールの驚異

愈々LRTのチブブール線の線路敷きが始まったようで絶好の別荘地が都心と近くなる。12月には開通とか言われているが、チャワンから都心への乗り入れとか接続は触れられてないのでその確認は別の機会にしたい。別荘地と言ったが前から通勤可能な住宅地で今後は更に人口が増えるのだろう。ところで一言でチブブールと言っても色々ある。

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チブブールの名前が冠せられた場所・施設等の広さは小生の目測では5kmx20kmに渉るようで少なめに見ても10,000haであろうか。そこは県市で言ってもジャカルタ市、ブカシ市、デポック市とボゴール市の4県を掠めるほどだが、行政区分ではCiracas郡の中のCibubur町だけで4.5km2と小さなものだ。Google Mapから作ったその部分では左上の1cm四方程度だ。Jagorawi高速のGT Cibiburがまず中心線でその左手がジャカルタ・デポック、右がブカシ・ボゴールで最左に森林公園(Kehutanan)、南はLegenda Wisata住宅地、右はCitraland 北にインドネシアボーイスカウト・キャンピンググラウンドの色々施設がある。
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従いここをBSDやJababekaなどと同じようにコタ・チブブールとひと塊のコタとは言えないが、その中にいくつかのそれより小さめのKota 或いはCity XX と言うのがいくつかある。上記のLegenda WisataやCitralandもそうだが最大はコタ・ウイサタが右の中心地にある。Kota WisataもLegend Wistaは二つともシナールマスでCiputraはCiltraland Cibuburの他にこの南東のJonggol地区に Citra Indah Cityを開発している。この他にもHarvest City やRaffles、Puri xxxなどいくつかもある。以上Cibuburを大掴みにしてみたが、タイトルのつけようがむつかしく大概いやになる。写真は2012年


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2018年10月12日 (金)

バテック・クリスでHansonに行きついた

東京建物のプレスリリースで、プロジェクトに参加させてもらう相手パートナーのダルマ・ミトラ・ウタマの代表者にHandokoとのみ書いてあった。ネットでサーチしても会社名も代表者名も掠らなかった。以前日本の企業が当地で事業をやるのに町の名前がCilincingとかCakungが正しく読めてないものにぶつかったが 騙されてないことを祈る気持ちになる。そして斯く言う小生自体、最近関連不明の名前のラッシュに会っている。こちらは新たな発見のうれしいラッシュである。
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先ずはHandokoで姓はTJOKROSAPUTROである。父はKasom Tjokrosaputroで1920年代にソロでバティッククリスの事業を起こした(実際のPT Batik Kerisの設立は1970年)事業家である。父は1976年に亡くなったが、設立の時からHandokoが社長で又弟Handimanが1974年来、紡績・ニット部門のPT Dan Lirisを担当している。Handokoは1949年生まれITBは多忙で中退のままである。Handimanは1952年生まれフイラデルフイアの繊維学校卒。
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Handimanの娘さんMichelle Tjokrosaputroは1992年パリのアメリカ大学を卒業後自らのハンドバックの事業を起こしてカルフールなどの小売市場を通じて販売していたが、Dan Lirisは倒産の淵に立たされて父の懇願の声で父の繊維事業への愛を感じ後を引き継ぐ決心をした。Global Business Guide誌、Women’s Obsession誌、SWA誌などにも取り上げられている。Bateeqと言うFashion ブランドもクリエートしている。
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会社の名前はUdan Liris霧雨を意味する。霧雨が撒いた種子に芽を出させ強い植物に育てるというわけだ。Kasomの5人の子供の係累の中で後一人成功者がいる。それがHansonグループのBenny Tjokrosaputra(kasomの孫、Handokoの子息、Trisakti1991 卒)であったのだ。彼はBentjokさんと呼ばれるが繊維から輸送まで41の会社(うち以下5社が上場)を率いている。

1. PT Hanson International Tbk (MYRX)
2. PT Rimo International Lestari Tbk (RIMO)
3. PT Armidian Karyatama Tbk (ARMY)
4. PT Sinergi Megah Internusa Tbk (NUSA
5. PT Oto Trans Indo
この中にはバティックはないが何度も確かめたので一族は間違いない。
冒頭の名前のラッシュという部分の他の名前の一端をを挙げると;
眼鏡のKasoem、
産業大臣Surachman Tjokrodisurjo、
Indika グループ富豪 Wiwoho Basuki Tjokronegoroがいる。


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